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防災歳時記 5月7日 人の記憶はうつろいやすく

48年前の5月7日は男鹿半島沖地震

 今を去ること48年前、1964年(昭和39年)の今日 5月7日。秋田県の日本海沖でM6.9の男鹿半島沖地震が発生した。

 

 被害は、全壊1戸、半壊5戸。津波も1メートル未満と小さく被害がなかったため、誰も津波からの避難など考えもしなかった。いや、むしろその時は海岸に避難した方が安全だった。

 

 そしてこの経験があだになった。

 

 それから19年後の5月26日正午前、男鹿半島沖地震とほぼ同じ震源地でM7.7の地震が発生した。「日本海中部地震」だ。

 

 この地震では、10メートルを超える津波が押し寄せ、北海道、青森、秋田で100人の方が津波の犠牲になった。男鹿半島沖地震の「大したことはない」と言う経験が、地震と津波を結びつけて考える思考を失わせていた。

 

 以降、秋田県では5月26日は「県民防災の日」となり、震災の記憶を県民に刻み続けている。

 

 

人の記憶は移ろいやすく…

 そんな今日5月7日にフィリピン ルソン島のマヨン山が噴火して、5人の登山客が犠牲になった。

 

 マヨン山は、フィリピンで最も活発な活火山。その美しい成層火山の形から、かつて日系移民たちに「ルソン富士」と呼ばれていた。

 

 このマヨン山が1984年に噴火した時のこと。

最初の小規模な噴火で住民に避難命令が出されたが、その後、噴火は小康状態に入り、避難した住民たちは「帰宅したい」と騒ぎ出す。

 

 これに対し、米国地質調査所(USGS)とフィリピン火山地震研究所の2人の火山学者が「まだ噴火活動が終息したとは言えない」として避難命令の解除に反対した。

 

 そして数週間後、マヨン山は2人の警告通り大噴火を起こした。

 

避難命令は継続されていたので、ただ一人の犠牲者も出さないままに…。

 

 人の記憶はとかく移ろいやすい。

今しがた噴火があってもしばらくすれば「喉元過ぎれば…」なんとやら。

 

 東日本大震災での甚大な津波被害を目の当たりにしたから、今は日本人誰しも地震や津波に敏感だ。

 

しかしこれで、南海トラフ地震が政府の被害想定より思いのほか軽微な被害で済みでもしたら、その先の時代にも、日本人は今のように災害に敏感でいられるのか?

 

 歴史をひもとく限り、「天災にウラをかかれない唯一の方策」は、月並みではあるが「災害の記憶を風化させず、心に刻み続けること」になるのか。

7日午前に噴火したフィリピン北部ルソン島のマヨン山(ルソン富士)

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