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防災歳時記5月30日 テルアビブ空港乱射事件とテロの歴史

日本赤軍はレバノン・ベッカー高原での軍事キャンプを通じてパレスチナ解放人民戦線(PFLP)との連携を深めていった(撮影: David Holt London)

 今から41年前、1972年の今日5月30日。イスラエル テルアビブ近くのロッド国際空港で、「日本赤軍」を名乗る日本人3人が無差別乱射事件を起こし、乗降客ら26人が死亡、73人が重軽傷を負った。

 

 「テルアビブ空港乱射事件」

 

 パレスチナの解放とイスラエルへの報復が目的、というその無差別テロの実行犯3人のうち2人は、京都大学と鹿児島大学の学生だった。

 

 パレスチナ解放人民戦線(PFLP)と日本赤軍の重信房子(現在服役中)は共同で犯行声明を発表した。

 

 日本の大学生がなぜにパレスチナ解放?

 

「国際根拠地論」に基づき「世界革命」の理想を掲げた日本赤軍はレバノン ベカー高原での軍事キャンプを通じてPFLPと連携を深めていった。

 

 重要なことは、世界のテロ組織は相互に影響を受け合い、ある部分に共通の歴史や文脈を持って活動しているということだ。

 PFLPも含めパレスチナ民族解放運動には、1928年にエジプトで結成された「ムスリム同胞団」の思想が影響を与えている。

 

 ムスリム同胞団の理論的指導者サイイド・クトゥブは、教育省の官僚として渡米するが、彼が見たアメリカ文明は、粗雑で激越で美しくなかった。帰国した彼は西洋文明を拒絶し、「ムスリムの殉教」を支持する。

 

 その彼の思想が、現在の「イスラム主義」ひいては「イスラム原理主義」へ、そして「自爆テロの正当化」へと連綿と引き継がれている。

 

 このムスリム同胞団に、穏やかな性格の成績優秀な14歳の少年が入団した。アイマン・ザワヒリ。現在ではウサマ・ビン・ラディン亡き後のアルカイダの後継者にして、世界で最も危険視されているテロリストの一人となった。

 

 ザワヒリは、カイロ大学を卒業し、優秀な眼科医になったが、1981年にエジプトのサダト大統領暗殺事件が起きると、関係者の一人として逮捕される。拷問を受けたとされる3年間の刑務所暮らしは彼の性格を一変させていた。

 

 冷徹なテロリストへと変貌したザワヒリは、その後パキスタンでウサマ・ビン・ラディンと出会い、アルカイダを結成していく。

アイマン・ザワヒリ 「ムスリム同胞団」に入団した穏やかな性格の14歳の少年は、世界で最も危険なテロリストへと変貌していく(撮影: fotosinteresantes)

 2010年末のチュニジアのジャスミン革命に端を発した「アラブの春」は、中東諸国にあっという間に波及し、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンの政権が打倒された。

 

 「無血革命による民主化の波」として賞賛された「アラブの春」だが、現在のシリアでは、化学兵器サリンが使われるような激しい内戦状態に突入している。

 

 ムバラク政権が崩壊したエジプトでは、あの「ムスリム同胞団」による政権が樹立された。長い歴史の中で、ムスリム同胞団は過激派を排除し、穏健派に属する集団になったと言われているが…。

 

 中東情勢はいまだに不透明だ。

 

「テロをする人の気持ちなんて分からない」

 

 確かにそうかもしれないが、相手を知らなければ対処のしようもない。

 

 そしてアラビア半島から遠く離れた日本も、あながち中東情勢に無関係とは言い難い。

 

 こちらは知らなくとも、テルアビブ空港乱射事件により、「命を犠牲にしてまでパレスチナ民族解放運動を助けてくれた極東の同胞」として、先方が日本人を認識していたのは少なくとも事実だから。

エジプトのムハンマド・ムルシー大統領は「ムスリム同胞団」により擁立されて政権を獲得した(撮影: Foreign and Commonwealth Office)

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