防災と災害情報のニュースメディア
  • 歴史

防災歳時記6月4日色丹島沖地震と北方領土問題

荒涼として何か物悲しい現在の色丹島の景色(ENGLISH RUSSIAより)

 今から120年前、1893年(明治26年)の今日6月4日。色丹島沖地震(M7.7)が発生した。色丹島沖地震の平均発生間隔は約72年。

 

 1969年(昭和44年)にもM7.8の地震が発生した。地震調査研究推進本部によると30年以内の地震発生確率は50%程度。

 

 

 日本海溝から千島列島、カムチャッカ半島は一つながりの地震多発地帯だ。最近もカムチャッカ半島近海でM8.2の地震が発生した。

 

 だが、色丹島は北方領土。日本の領土と言いながら北方四島は地震の研究も火山の研究もすることができない。

 

 昭和初期までは「日本18景」のひとつだったという色丹島。どんな場所なのか?とネットを探してみたら「ENGLISH RUSSIA」というロシアのサイトを見つけた。

 そのサイトには、この色丹島で6年間、日本が残した灯台を守り続けるビクトルという「灯台守(とうだいもり)」のストーリーが載っていた。

 

 彼がこの仕事を選んだ理由 。それは上司から遠く離れ、孤独になれる機会だから。

 

 そこにはロマンスはない。彼は言う。「ロマンスを探すには間違った場所だよ」

 

 先住民によれば島が1.5メートルも沈下した1994年の北海道東方沖地震をみんな忘れていない。島民の多くは、今もいろいろな予言に怯えて暮らしている…。

 

 このサイトから伝わってくるのは、果てしなく荒涼とした色丹島の風景。

 

 ロシアのプーチン大統領は日露首脳会談で安倍晋三首相に、「中国やノルウェーとの領土問題は面積2等分で解決した」と強調し、北方領土問題について2等分の解決法を示唆した。

 

 北方領土には、海底資源も海産資源も豊富なのだろう。日本が領有権を主張する正当性についてみじんも疑念を抱いたことはない。

 

 しかし、このサイトを見ていると、領有権をめぐる日露両国によるしのぎ合いの先にある「この世の果ての土地」の荒涼とした風景に、なぜか索漠たる気持ちなってしまう自分を感じる。

灯台守を選んだ理由 。それは 上司から遠く離れ、孤独になれる機会だから… 日本が残した灯台は幽霊の「お気に入りの場所」だとか(ENGLISH RUSSIAより)

 あなたにオススメの記事

メニュー