防災と災害情報のニュースメディア
  • 歴史

防災歳時記6月8日凶悪事件に呪われた日

 今から12年前の2001年の今日6月8日午前10時。2時間目の授業が終わり、休み時間に入る直前の大阪教育大学付属池田小学校2年南組に37歳の男が押し入り、手にした包丁で女児5人を無言で刺した。

 

 最終的に男は、23人の児童、教師を襲い8人の児童が命を落とした。当初男は重い精神障害を患っているふりをし、法廷ではその責任能力の有無が取りざたされたが、後に「詐病だった」と供述し、事件から3年後の2004年9月14日に死刑が執行された。

 

 この衝撃的な事件から7年後、2008年の6月8日午後0時30分ごろ、東京・秋葉原で25歳の男が運転する2トントラックが、赤信号を無視して交差点に突入。横断中の歩行者5人をはねとばした。

 

 男は信号待ちしていたタクシーに接触して停車すると、交通事故だと思って駆け寄ってきた通行人・警察官ら14人をナイフで殺傷した。

 

 さらに男は奇声を上げながら周囲の通行人を次々と刺して逃走。結局7人の人が命を落とし、10人が重軽傷を負った。

 

 こうした凶悪な「通り魔殺人事件」は、いつの世も後を絶たない。そして犯人が逮捕されるたびに、どこかで聞いたようなセリフが飛び交う。

 

「受験の失敗や、仕事がうまくいかないことで強烈な劣等感にさいなまれていた」

 

「友人がいなく、解雇されたことによって世間と断絶し強い孤独感を感じていた」

 

「親から虐待を受けおり、深い心の傷を負っていた」

 

 いつもこんなセリフに何かピンとこない。

 

 世の中の大抵の人は程度の差こそあれ、劣等感や孤独感にさいなまれ、心の傷を抱えながら生きている。

 

 ピンとこないのは、こうした観察(描写?)が犯人の心象風景を説明しているだけで、犯行に及ぶ必然性について何も語っていないからだろう。

 

 もし、これが犯行の原因だとすれば、単に犯人は「心が弱かった」という結論になってしまう。

 

 まさにレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説に登場する探偵フィリップ・マーロウのあのセリフそのままだ。

 

「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」

 

 ある知人が言った。

 

「引きこもりは、引きこもれる場所があるから起きるのさ」

 

 そりゃそうだ。

 

 引きこもる部屋もない生活をしていれば物理的に「引きこもり」は不可能だ。家庭に「引きこもれる物理的、経済的余裕」がなければ「引きこもり」の前提が成り立たない。

 

 その論で言えば、「心に魔が巣食う」のは、「心に魔が巣食う余裕がある社会だから」ということになるのか?

 

 正解は分からないが、少なくとも医療が進んだ先進諸国で、患者数も病気の種類も増え続けているのは「心の病」だけだ。経済的・政治的に厳しい状況にある国々での「心の病の発症率」は相対的に少ない。

 

 人の心は弱い。人の傷みを理解することは大切だ。だが本当の優しさは人の心の弱さに寄り添うことなのか?「人に優しい社会」が「本当に優しい社会」とは限らない。

 

 この国の心象風景を思うとき、フィリップ・マーロウのセリフが、ことさらに真実味を帯びて感じられる今日この頃だ。

 あなたにオススメの記事