防災と災害情報のニュースメディア
  • 歴史

防災歳時記7月10日東の松島 西の象潟

現在の「象潟(きさかた)」(秋田県にかほ市 出典: Takayama Sora)

 今から209年前、1804年(文化元年)の今日7月10日出羽国(秋田県)で象潟(きさかた)地震が発生した。

 

 地震の規模は推定M7.0。液状化による泥水の噴水が各地で見られ、津波も発生した。

 

 この象潟地震での死者は366人、倒壊した家屋は5500棟あまり。

 

 この地震により、周囲の景色は一変した。象潟は元々、紀元前466年に鳥海山が噴火、大規模な山体崩壊による土砂が日本海に流れ込んだ「流れ山」と呼ばれる地形だった。

 

 つまり、現在の島原・九十九島のような、遠浅の海に小島が点々と浮かぶ潟湖(せきこ)=ラグーンだったのだ。

 

 それが、この地震により一夜にして1メートルから2メートルも隆起し、陸地と化した。

 江戸時代末期までは、象潟はまさに「九十九島・八十八潟」と呼ばれ、「東の松山 西の象潟」とうたわれた天下の景勝地だった。

 

 松尾芭蕉も「奥の細道」で、「松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し」と評している。

 

 象潟地震の約3年前から鳥海山は噴火を始め、新山を作っていた。

 

 鳥海山と象潟は直線距離にして約17キロ。鳥海山の想像を絶する自然の力により作られた「天下の景勝地」は、その力により、また一夜にして消し去られた。

 

「象潟や雨に西施がねぶの花」 芭蕉

 

(象潟の浜辺でネムの花が雨に打たれているさまは、中国の絶世の美女「西施」がしっぽりとうつむいているさまのようだ)

 

 象潟では、今も水田のそこここに、芭蕉が愛した かつての小島の面影が残されている。

松尾芭蕉が見た象潟は、島原の九十九島のような景勝だったのだろう

 あなたにオススメの記事

メニュー