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防災歳時記7月15日磐梯山噴火と五代目菊五郎

裏磐梯側からみた磐梯山には今も山体崩壊の荒々しい傷跡が残されている(福島県裏磐梯観光協会HPより引用)

 今から125年前、1888年(明治21年)の今日7月15日に福島県猪苗代湖の北にある磐梯山が大噴火した。

 

 朝から大きな爆発が15〜20回続き、最後の大爆発で小磐梯山北側の山体が崩壊、大量の土砂が岩屑(がんせつ)なだれとなり、ふもとの5村11集落を飲み込んだ。

 

 犠牲者477人。

 

 今も裏磐梯の山肌には、山体崩壊の荒々しい傷跡が残されている。

 

 この山体崩壊により、ふもとの長瀬川とその支流がせき止められ、桧原湖や五色沼などの自然の造形美が作られた。

 

 今でこそ、「風光明媚な自然の景勝」だが、もちろん噴火直後は、この天然ダムのために、24年間で9回もの大規模洪水が発生することとなっている。

 内閣府の広報「ぼうさい」に2005年11月に掲載された中村洋一宇都宮大学教授の文章によれば、興味深いのは、この磐梯山噴火が明治に入って最初の大災害だったため、当時できたばかりの「新聞」などのメディアがこぞって、この災害を報じたことである。

 

 この当時、まだ報道写真などはあまり普及していなかったから、東京朝日新聞は、パリで新技術を学んだ画家たちを現地に派遣し、木版画の噴火図を掲載したりもしたらしい。

 

 新聞社54社による募金活動も行なわれ、約6万人から現在の貨幣価値にすると約15億円相当の義援金が集まり、内外の多くの関心が磐梯山噴火に集まった。

「磐梯山噴火の図」井上探景作(1888年)

 そして、10月になると、「是万代話柄音聞浅間写画(これはばんだいのはなしぐさおとにきくあさまのうつしえ)」という演目の歌舞伎すら演じられる。

 

 万代は磐梯にかけ、浅間山の噴火の話としたこの演目、演じたのは團十郎、左團次とともに「團菊左」とうたわれ明治歌舞伎の黄金時代を築いた名優 五代目尾上菊五郎。

 

 五代目菊五郎は13歳の時にもらった「しじみ売り」の端役のために、毎朝深川まで行って、本当のしじみ売りの一挙一動を観察して演技に生かし、四代目市川小團次に一目をおかれるようになったとの逸話もあるほどの「リアリズム」を追求する名優。

 

 左官屋の役をやれば、左官屋に行って道具の使い方を見習う、外国人の役をやれば、慶応義塾にまで行って英語を習う。

 

 その類いの逸話には事欠かない徹底的な写実主義者だった五代目菊五郎が舞台で表現した大災害はどんなものだったのか。

 

 ヨーロッパでも、新聞の黎明期には、写真の代わりにエッチングなどの版画が使われている。

 

 「犯行の瞬間を捉えた報道写真」はなかなかないが、「犯行の瞬間を想像して描いた版画」はありうる。

 

 新聞の紙面に躍る「連続殺人犯が貴婦人を襲う瞬間」の挿し絵。

 

 読者はそれを見て、まるで自分が挿し絵の貴婦人になったかのように都会の闇に潜む野獣の息づかいに恐れおののく。

 

「今晩は自分が都市の闇に飲み込まれるのではないか…」

 

 時に人は現実を写した写真や動画よりも、それを題材にした作品に、現実以上のリアリティを感じることがある。

 

 明治の人々は、「希代の名優」の歌舞伎を通して、磐梯山噴火という大災害の悲惨さ、壮絶さを現実以上にリアルに感じ取っていたのかもしれない。

明治歌舞伎の黄金時代を築いた名優 五代目尾上菊五郎(原典: Japanese book 5sei Onoe Kikugoro)

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