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防災歳時記7月25日温泉場で混浴が許可された日

日本遠征記より「下田の公衆浴場の図」

 今から137年前、1876年(明治9年)の今日7月25日、明治政府は温泉場での男女混浴の許可令を出したらしい。

 

 こう書くと、まるでそれまでは「混浴」が認められていなかったかのような印象を持つが、事実は逆である。

 

 本来、混浴は日本人にとって自然な風習だった。

 

 黒船で来航したペリー提督は、この風習に仰天する。

 

「裸でも気にせず男女が入り乱れて入浴しているのを目の当たりにすると、この町の住民の道徳心に疑いを差し挟まざるを得ない」(ペリー著「日本遠征記」)

 


 下田の公衆浴場を見た時の驚きっぷりの描写である。

 

 そう言いながらも克明な描写画を残しているところが、アメリカ人の研究熱心なところ?だが、この記録はベリーが帰国した後に合衆国議会に提出される資料だったから、敬虔なピューリタン(清教徒)だったアメリカ人たちは海の向こうでもさぞや仰天したことだろう。

 江戸時代から続く、「世界で一番淫靡(いんび)な国民」という西洋諸国の評価?に、明治政府は耐えられなかったのか、何度も「混浴禁止令」を出している。

 

 しかし、この政策が定着するのには30年もかかり、最終的に1900年(明治33年)に「銭湯における12歳以上の男女の混浴を禁止する」とした内務省令が発布され、ある程度の完結を見た。

 

 だから「温泉場での混浴許可」も、こうした施策の一環として、「銭湯はダメだが、湯治場はよし」といった限定的特例措置だったのかもしれない。

 

 鎌倉幕府ができた時から600年以上も続いた「武家文化」の象徴である、「帯刀」や「ちょんまげ」が明治維新でまたたく間になくなったのに比べ、廃絶?までに30年もかかった「男女混浴」は、より日本人に深く根付いていた文化だったのか。

 

 もしかしたら「男女混浴」こそ、「黒船」というグローバリズムによって最初に消えた日本の伝統文化だったのかもしれない。

 

 そして、そのグローバリズムの嵐は、現在も変わらず、いやさらに勢いを増して吹き荒れている。

 

 遂に日本もTPPに参加した。

 

 政府は「守るべきものは守り、攻めるべきものは攻める」との姿勢で交渉に臨むとのこと。

 

 「TPPという黒船」で、この国は何を得て、何を失うのか。

混浴露天風呂の尻焼温泉 川原湯(撮影: kawanet)

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