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防災歳時記7月27日アウトブレイク それは1人の女から

明治10年ごろの「コレラ予防ポスター」

 今から97年前、1916年(大正5年)の今日7月27日、香港からいくつかの寄港地を経て横浜港に入港した大阪商船の布哇(ハワイ)丸に乗船していた一人の女性客が急に吐き気を催した。

 

 2日後、「コレラ」だと判明した。

 

 その後、船内では47人が発症し、7人が死亡した。

 

 乗客を下船させなかったものの、2週間後、横浜市内で最初の感染者が発生した。

 

 その感染者は横浜港内で採れたエビを食べたという。船内の感染者の排便により港内の海水中にコレラ菌がまき散らされていた。

 

 その後、コレラはとどまるところを知らず全国に伝播し、山口県や富山県からも発生する。

 

 結局この年、全国で1万371人がコレラに感染し、うち7482人が死亡した。

 

 これが日本における1万人規模でコレラが発生した最後のアウトブレイクだった。

 伝染病に対する最後の砦として「検疫」は重要だ。

 

 ペスト菌を発見した北里柴三郎は、横浜海港検疫所の検疫官補だった時代もあり、コレラの流行に憤慨し、予防医学の重要性を説いていた。

 

 その北里柴三郎が血清開発に取り組んだ伝染病の一つ、「狂犬病」の危機が50年以上の時を経て、日本に迫っている。

 

 16日、台湾で52年ぶりに狂犬病が見つかった。台湾は日本と同じく世界でも数少ない狂犬病の「清浄地域」だった。

 

 台湾は日本と同じ島国。海で四方を囲まれているから、検疫と予防体制をしっかりしておけば「狂犬病」の侵入を防げるはずだった。

 

 しかし52年も経ってから突如 病原菌が発見され、伝播経路はいまだ不明。

 

 それは、同じことが日本にも起きる可能性があるということ。

 

 発症した狂犬病の致死率はほぼ100%。コレラよりさらに凶暴な伝染病だ。

 

 世界では今でも年間5万人以上の人が狂犬病で命を落としているとか。

 

 世界が狭くなったことで、懸命に伝染病と戦った北里柴三郎の時代に日本も「逆戻り」してしまうということなのか。

伝染病と戦った予防医学の父 北里柴三郎博士(1853 - 1931)

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