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防災歳時記8月19日ソ連崩壊は運命の皮肉

ゴルバチョフ氏は54歳の若さで巨大帝国の最高権力者 ソ連共産党書記長の座に登りつめた(出典: MissouriStateArchives)

 今から20年前、1991年の今日8月19日モスクワでクーデターが発生し、それをきっかけにソビエト連邦は崩壊した。

 

 しかし今にして、強大な共産主義帝国 ソ連が崩壊する過程を振り返ってみると幾多の運命の皮肉を感じる。

 

 話はクーデターからさかのぼること9年前、1982年。

 

 18年間政権のトップにいたブレジネフ書記長が死去した。

 

 しかしその後を継いだ2人の書記長、アンドロポフとチェルネンコも病弱で任期約1年で次々に死去。

 

 誰も予想もしなかったスピードで改革派のゴルバチョフが54歳の若さで書記長の座に着く。

 

 だがゴルバチョフ書記長がベレストロイカ(再構築)とグラスノスチ(情報公開)を旗印に民主化路線を突き進んだ結果、冒頭のクーデターが発生する。

 ソ連解体のきっかけとなったクーデターは改革派が起こしたものではなく、ゴルバチョフ大統領の改革路線におそれをなした保守派により引き起こされていた。

 

 その日クリミア半島の別荘で休暇中だったゴルバチョフ大統領は保守派に監禁され、モスクワでは「健康上の理由から保守派のヤナーエフ副大統領が大統領職を継承する」と「国家非常事態委員会」なる組織が発表した。

 

 これに当時ソ連下の一共和国だったロシア共和国のエリツィン大統領が「非合法」と反発、自ら戦車の上で旗を振ってゼネストを呼びかけた。

 

 米英はこれに対してすぐに「国家非常事態委員会」を否定したが、日本の海部俊樹首相(当時)は、情報がないことから煮え切らない態度に終始した。

 

 議会も保守派を非難、軍やKGBがエリツィン派に寝返る一方で、首謀者のヤナーエフ副大統領は飲酒して泥酔。

 

 「国家非常事態委員会」の実質的トップだったクリュチコフKGB議長がエリツィンにゴルバチョフ大統領との話し合いを要請、ゴルバチョフ大統領は解放され、クーデターは未遂に終わる。

エリツィン氏は、保守派のクーデターを「非合法」と訴えた(出典: ロシア連邦大統領府www.kremlin.ru)

 しかし救出された民主化の旗手ゴルバチョフ大統領は、すでに市民の信望を失い、主役の座はエリツィンに移っていた。

 

 なぜなら事件が終わって逮捕してみたら、クーデターの首謀者たちは、すべてゴルバチョフ大統領の側近ばかりだったから、国民は「共産党」というものそれ自体にノーの意思表示をしていたのだ。

 

 多くのKGBの幹部たちがこのクーデターで失脚したが、現在のプーチン大統領は難を免れた数少ない一人だ。

 

 なぜなら、クーデターの1年前にプーチン大統領はKGBを退職し、レニングラード市の政界に進出していたから。

 

 この運命の機微により、極めて保守派的な?キャリアを持つプーチン大統領だったが、新しい権力者エリツィン大統領のもとで頭角を現し、最後は後継者として指名される。

 

 強大な帝国が滅びる時、それは運命の皮肉が連鎖する時代であるのかも知れない。

プーチン大統領は、新しい権力者エリツィン大統領のもとで頭角を現していった。(出典: ロシア連邦大統領www.kremlin.ru)

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