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防災歳時記8月22日 樺太・千島交換条約は諸刃の剣

北方領土周辺の地図(外務省HP われらの北方領土2012年版より引用)

 今から138年前、1875年(明治8年)の今日8月22日に、帝国議会で樺太・千島交換条約が批准された。

 

 そもそも日本とロシアの領土交渉の歴史は江戸時代までさかのぼる。

 

 江戸末期の1855年(安政元年)の日露和親条約で、日ロの国境は択捉島(エトロフ島)と得撫島(ウルップ島)の間で、樺太は日ロ混住の地と決められた。

 

 しかしその後、ロシアの樺太開発が進むにつれて、紛争が頻発したことから、明治政府は一大決心をする。

 

「樺太は放棄します。その代わり千島列島は全島日本の領土です」

 

 これが樺太・千島交換条約。

 

 この条約こそが、平和裡に両国が締結した唯一の領土条約だから、日本共産党は「北方四島じゃなくて、領土交渉の基本は千島列島全島返還」と今でも主張している。

 

 「まったく持って正論」というかんじだが、この条約を根拠とすると、一つとてもまずいことが起きる。

 実はこの条約、原文は日本語でもロシア語でもなく、「フランス語」で書かれているのだ。

 

 そして日本語訳では、「得撫島(ウルップ島)から守占島(シュムシュ島)までの千島諸島は日本の領土」となっているが、フランス語では、「クリル諸島のグループ」となっている。

 

 つまり何が言いたいのかというと、日本からすれば、すでに北方四島は江戸時代の日露和親条約以来、日本の領土=日本、なので「千島列島」と言ったら、択捉島以北の「得撫島(ウルップ島)から先」を指しているが、フランス語では、北方四島も含むすべてを千島列島としている。

 

 問題はここから。

 

 太平洋戦争後のサンフランシスコ講和条約で日本は千島列島を放棄させられた。

 

 その意味は、日本側からすれば「得撫島から先を放棄した」の意味だが、フランス語の樺太・千島交換条約を読む限り、日本は「千島列島(北方四島を含む)を放棄した」となってしまう。

 

 条約という法律をめぐる「法解釈」として、ここは日本にとってあまりありがたくない明治政府の遺産だとも言える。 

1951年(昭和26年)吉田茂首席全権以下は「千島列島を放棄する」としたサンフランシスコ講和条約に署名した

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