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防災歳時記8月25日 北里柴三郎がペスト菌を発見

日本の細菌学の父と呼ばれる北里柴三郎

 今から119年前、1894年の今日8月25日は北里柴三郎がペスト菌を発見した日である。

 

 14世紀半ばにヨーロッパで大流行したときには、欧州の全人口の1/3を死滅させたというペスト。もともとはネズミなどのげっ歯類の間に広がる病気で、その感染体の血を吸ったノミを媒介にして人間などに伝染するケースが多いという。

 

 日本では大流行したことがないため対岸の火事のごとく思われているかもしれないが、ペスト菌は、エボラ出血熱や天然痘などと同じく、感染症としては最も危険な一類感染症として国内の感染症法に指定されている。

 

 鳥インフルエンザが二類感染症に指定。O-157などの腸管出血性大腸菌が三類感染症。最も危険とされる一類感染症のペストがいかに恐ろしいか、ご想像がつくだろう。

 

 かように人類にとっては重大かつ危険なペスト菌を発見した北里柴三郎ではあったが、実はその年に、まったく別の場所で北里とは関係なくこの菌を発見したフランス人の医者がいた。

 

 アレクサンドル・イェルサン。彼は、ペスト菌をただ発見しただけではなく、ペストという病気と最初に結びつけて考えた功績が認められ、現在、この菌の学名はイェルサンの名をとって『Yersinia pestis(エルシニア・ペスティス)』と呼ばれている。

 

 北里柴三郎は、ペスト菌の発見だけでなく、その後の研究や、北里研究所、慶応大学医学部の設立などの数多の功績を残し、日本医学界では「細菌学の父」として燦然とその名が輝いている。

 

 一方、イェルサンは、型にはまらないというか、我々が想像する医者像からは大きくかけ離れた実に不思議な人物だ。

 

 彼の活動を記したフランスの書籍「Peste & Choléra」(ペストとコレラ)によると、イェルサンは細菌学の研究には縛られず、ペスト菌発見の後は本国フランスを飛び出してベトナムへ出向き、医学だけでなく農業や天然ゴム開発など多方面に才能を発揮した。

 

 そこで生涯独身を貫き、研究に勤しみながら、質素な暮らしを営んだという。

 

 そのため本国フランスでは、2012年に書籍「Peste & Choléra」が仏国で権威のある文学賞のフェミナ賞を受賞するまであまり彼の存在は知られておらず、逆に移住先のベトナムでは、元邸宅がアレクサンドルイェルサン博物館として現在も人々に親しまれるほど、地元の人に愛されている。

 

 いずれにせよ2人の真摯な医学者が人類のために果たした功績は不動のもの。

 

 ペストという一つの病原菌をめぐり、日仏2人の天才が互いを見知らぬまま研鑽しあったときと同じように、現代もまた大勢の医学者たちが病原菌と戦っているのだろうか。

 

 彼らが見つめる顕微鏡の先は、肉眼では決して追えない小さな世界だが、その発見は人類にとっては大きな一歩となる。

 

無名の天才医学者アレクサンドル・イェルサン

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