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防災歳時記9月1日関東大震災は3度来る

関東大震災で傾いた浅草の凌雲閣

 今日、9月1日は言わずもがな『防災の日』。

 

 すなわち今から90年前、1923年(大正12年)の今日、関東大震災が起きた。この地震によって10万人以上の死者・行方不明者が出たことは言うまでもない。

 

 今年は関東大震災からちょうど90年目に当たるので、防災訓練はもちろん、関東大震災に関するさまざまな展示や催しが行なわれている。

 

 10万人の死者・行方不明者のうち、9万人あまりが火災で亡くなっていること、火災旋風が起きて避難場所となった「陸軍本所被服廠跡地」で多くの人が火に包まれたことなど、この大災害から学ぶことは多い。

 

 だが今回は、そうした被害の惨状とはちょっと趣を異にする関東大震災の側面を見ていきたい。

 

 それは「関東大震災は3度来た」ということ。

 時は大正末期の帝都東京。この大震災については、名だたる文人、学者の諸先生が記述を残している。

 

 まずは詩人にしてアナーキストの秋山清の自伝『わが大正』から。

 

「たびたび東京で私は地震に遭ったが、このときの三回目ほどのものはついぞ出逢わない」

 

 東京の京橋で大震災に遭遇した描写だ。どうも関東大震災の時、東京は3回激しく揺れたようだ。

 

 『古寺巡礼』などの著作で知られる哲学者 和辻哲郎も千駄ヶ谷の自宅で震災に遭遇しているが、『地異印象記・思想』で2回目の揺れについて、「女達は立っていられない程の振動」と描写している。

 

 そして地震学者にして随筆家の寺田寅彦も『震災日記』で「最初にも増したはげしい波が来て二度びっくりさせられた」と、上野の美術館での震災体験を語っている。

千駄ヶ谷の自宅で震災を体験した哲学者 和辻哲郎も2回目の揺れについて「女達は立っていられない程の振動」と著作の中で描写している

 その後の研究で、これらの証言は本当だったことが証明された。

 

 関東大震災の後には、M7クラスの巨大余震が6度も発生し、特に最初の2回は本震発生から数分以内に来ている。

 

 だから東京にいた文人・学者は口々に「揺れは3回」と言っていたのだ。

 

 ちなみに本震はM7.9で、東京での震度は6ぐらいだったと思われるが、最初の余震は本震からわずか3分後でM7.2。

 

 しかし震源が東京に近いので、多分 東京での揺れは、本震と同じ震度6ぐらいだったろうと想定されている。

 

 さらにその1分半後には本震の震源域近くでM7.3の地震が発生、たぶん東京では震度5ぐらいだったのだろう。

 

 東京では、この2回目の余震で倒壊した建物も少なくなかった。

 

 つまり、何が言いたいかと言えば、万が一、関東大震災のような大地震がきたら、その直後に本震と変わらない揺れの余震がくる可能性があることを忘れないでほしい、ということ。

 

 そして正直に白状するが、今回の内容のほとんどは、内閣府中央防災会議が平成18年7月に発表した「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1923 関東大震災」の受け売りである。

 

 政府の発表する調査報告書は、概して堅苦しいタイトルで、読みにくいものも多いが、きちんと読んでみると、やはり「ため」になる。

 

 防災の日の今日は日曜日。こんな話でもきっかけに、一度、政府調査報告書に目を通してみるのもいかがか。

本震の震源断層で大きく滑った部分と6大余震の震源位置の関係[武村、2003より引用](内閣府中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1923 関東大震災より引用)

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