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防災歳時記9月3日東京が日本の首都とは決まってない?

「徳川幕府の本拠地江戸城に明治天皇が入られたから東京が首都」と単純な話でもなかったようだ 皇居正門石橋(撮影: Kobetsai)

 日本の首都は?と聞けば、誰でも『東京』と答える。

 

 だが、日本の法律や政令に、「東京を日本の首都と定める」と規定したものは一切ない。

 

 多くの人は、300年続いた徳川幕府の本拠地「江戸」が、明治維新の大政奉還により「無血開城」したから、そこが皇居となって首都(当時は帝都だが)になったと思っているだろう。

 

 しかし本当は、それほど単純な話でもなかったようだ。

 

 そもそも明治維新の際、「新たなご親政のために京都から都を移した方がよい」との意見はあったが、その最初の候補地はなんと「大阪」だった。

 

 それが、徳川幕府が意外にもあっさりと無血開城したこともあり、「江戸」というのが視野に入ってくる。

 

 そして今から145年前の1868年(慶応4年=明治元年)の今日9月3日、「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」が発布される。

 

 この詔書の内容は、「東京」という言葉が「東の京」であることからも推測できるように、「東国も西と分け隔てなく治めてあげなければいけないから、これからは東西2首都制にします」との主旨だった。

 だから江戸城も最初は「皇居(当時は皇城だが)」とは呼ばれず、「東京城」と呼ばれた。

 

 それから1年は、京都と東京を行ったり来たりするが、三条実美の「数千年天皇のお膝元だった京都・大阪の動揺と、300年間徳川のお膝元だった関東の恨みや失望をはかりにかければ、今は東京を本拠地にする方が得策」との意見が通り、1869年(明治2年)の東京行幸の時に、一緒に太政官が東京に移され、それ以来中央官庁は次々と東京に移っていった。

 

 この年、京都府は「告諭大意」を発布し、「天皇はこれから地方出張(行幸)が増えるだろうが、京都は千年以上の帝都であり、大事に思っているので大丈夫」と京都の人々をなだめている。

 

 それ以来145年、京都の人々にとっては、「出張に行ってくる」と出かけたまま「みかど」はいまだ帰ってこない。

 

 それでも、大正天皇、昭和天皇と「即位の礼」は京都御所で執り行なわれたが、今上天皇からはそれも皇居で、となった。

 

 時代が変わって戦後になっても、「帝都・首都」のいきさつはそのままで、今もどこにも明文化はされていない。

 

 145年前の「東西2首都制」を定めた詔書が最後だ。

 

  東京に移って8年後、明治天皇は、京都御所が荒れ果てているのを見て悲しみ、旧観を維持するよう指示を出し、今に至っている。

 

  明治天皇は、いつかは自分が生まれ育った京都御所に帰る日を、そしてまた京都が首都となる日を夢見ていたのだろうか。

京都御所紫宸殿 京都は今も天皇の帰りを待っているのだろうか(撮影: konohana)

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