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防災歳時記9月17日 枕崎台風と「空白の天気図」

土石流の被害を受けた大野病院東一号病棟(上)と土石流に埋まる患者用自動車(下)/写真 広島県防災Webより

 今から68年前、1945年の今日9月17日は鹿児島県に枕崎台風が上陸した日である。

 

 上陸時の中心気圧は916.3ヘクトパスカル。最大瞬間風速は75.5メートル(宮崎で観測)。

 

 鹿児島県枕崎市から日本を縦断したこの台風は、死者2473人、行方不明者1283人、負傷者2452人という甚大な被害を生じさせ、室戸台風、伊勢湾台風と合わせて「昭和の三大台風」などと呼ばれたりする。

 

 枕崎という台風名からして鹿児島で猛威をふるった印象を与えるかもしれないが、最大の犠牲となったのは広島県である。実に同県だけで死者1229人、行方不明者783人、負傷者1054人という大惨事となった。

 

 同県では9月から梅雨のような雨がしとしと降り続き、そこに枕崎台風がやってきて、16日午前5時頃から17日午後11時までの間に218ミリという大雨が降り注いだのである。

 

 川は氾濫し、呉市内ではいたるところで土石流が流れ、廿日市市でも陸軍病院の病棟がその犠牲となった。

 言うまでもなく1945年とは、日本が敗戦した年である。つまり広島は原爆を落とされてからわずか1カ月でこの巨大台風に襲われたのである。

 

 実際、陸軍病院の中には被爆者たちが多数収容されており、また、彼らの治療・調査にあたっていた京都帝国大学(現在の京都大学)の医療班メンバーも11名が土石流に呑み込まれて亡くなった。

 

 当時のこの台風を現在に伝えるノンフィクション作品がある。

 

 原爆直後の台風の中でも職務を全うしようとする広島気象台の人々の姿を描いた『空白の天気図』(著・柳田邦男)である。

 

 原爆と敗戦の影響で広島気象台では台風の観測データを中央気象台(現在の気象庁)に送ることができず、その本のタイトルのごとく天気図には空白が広がっていた。それでも地道に観測を続け、気象データを送るために広島の廃墟を走り回る職員たちを描いたものだ。

 

 複数の災害に見舞われるという構造は、まさしく東日本大震災後に事故を起こした福島第一原発を彷彿とさせるが、たとえば昨今問題になっている汚染水対策のために走り回る人々の姿は我々の前には見えない。

 

 しかし、それは表に出ないだけで、実際は広島気象台のようなプロフェッショナルたちが地道に寡黙に働いており、一刻も早く問題解決がされることを切に願う。

枕崎台風と遭遇した広島市内の様子/wikipediaより

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