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防災歳時記9月18日82年前の国連調査団

ハルビンに入城する関東軍(出典: 東京日日新聞)

 今から82年前、1931年(昭和6年)の今日9月18日の深夜、中国奉天(現瀋陽)郊外で南満州鉄道が爆破された。

 

 関東軍の参謀板垣征四郎と石原莞爾による「自作自演」、当時の言葉で言えば「謀略」だった。

 

 この事件を皮切りに関東軍は軍事行動を拡大、翌年には「満州国」を建国する。

 

 いわゆる「満州事変」。

 


 これに対し、同年国際連盟はリットン調査団を満州に派遣し、半年にわたる調査の結果、「満州国の存続は認められない」とする報告書をまとめる。

 

 この報告書(勧告案)が国連総会で採択されそうになると、松岡洋右全権大使は席を立ち、日本は国際連盟を脱退する。

 

 現代の視点で見れば、「自殺的な侵略行為」。

 

 だが、当時の関東軍の視点から見ると、「ギリギリセーフのギャンブル」だったらしい。

 

 日本国内の不況を打開するための「植民地化による市場拡大」と「対ロシア防衛ラインの構築」という起死回生のギリギリの選択は、「もともと漢民族の土地ではない満州(現中国東北地方)に侵略をとどめれば、混乱する中国は黙認し、欧米諸国も軍事行動まではでないだろう」という作戦。

 

 実際、その後の国際情勢はおおむね関東軍の参謀たちが予測した方向に推移した。

 

 国際連盟は総会でリットン報告書(勧告案)を採択したにも関わらず、軍事行動には出なかったし、中国も満州国を黙認して日本と停戦協定を結んだ。

 

 6年後の1937年(昭和12年)に、日本陸軍の後輩たちが、北京近郊で盧溝橋事件を起こし、日中戦争に突入するまでは。

満州事変のシナリオは当時関東軍参謀だった石原莞爾が書いたものだと言われている(出典: 毎日新聞社「一億人の昭和史 1930年」)

 関東軍の参謀たちが予想したように、北京という「漢民族の本拠地」で事を起こした瞬間、すべての情勢が一変した。

 

 中国はもちろん戦争状態に突入するが、同時に欧米諸国も日本を「侵略国家」として本気で「軍事介入」を考え始める。

 

 そして、その結果はその後の歴史が示すとおり。

 

 昨日未明、まるで82年前の日本のように、シリアでの化学兵器使用を断定する国連調査団の報告書が公表された。

 

 報告書ではサリンの使用が断定され、明言こそしていないものの、今後の分析作業により、アサド政権による化学兵器使用が明らかになる可能性を示唆している。

 

 アサド政権の行動は、われわれから見れば「自殺行為」だ。

 

 現代の先進諸国の常識で考えれば、関東軍もアサド政権も「馬鹿げた侵略行為」や「馬鹿げた残虐行為」にしか見えないが、関東軍が密かに「ギリギリのギャンブル」を計画していたように(善悪はともかく、実際その作戦は途中までうまくいきかけていた)、アサド政権もただの「愚かで乱暴者の政権」とは思えない。

 

 アサド政権は何に対して「ギャンブル」を仕掛け、国連報告書は事態をどこへ導くのか?

 

 アサド大統領の本心など知る由もないが、かつての日本のように「破滅的な戦争」へと続く道だけは選択しないことを祈りたい。

シリアの内戦ではすでに11万人を超える命が犠牲になっている

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