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防災歳時記9月25日 西武高槻ショッピングセンター火災

   今から40年前の1973年の今日9月25日、まだ目の覚めやらぬ大阪府高槻市の街に、けたたましく消防サイレンの音が鳴り響いた。


   消防車が列をなして向かっていたのは、開店を4日後に控えた駅前の「西武高槻ショッピングセンター」(現在の西武百貨店高槻店)。エスカレーターが設置され、近代化する街の象徴として市民の期待を集めていたその6階建てのビルから、もうもうと黒煙が上がっていた。


   出火にまず気づいたのは、地下1階の中央監視室で仮眠していた宿直の男性だ。午前6時ごろ、電気系統の異常を知らせる警報音が鳴り、男性が驚いて部屋の外に飛び出すと、外はすでに煙でいっぱい。火元は地下1階、中央監視室のすぐ近くだった。

   開店を間近に控えた店内には、工事用建材や段ボール箱に入った商品が大量に運び込まれており、火は瞬く間に地下フロアに広がった。消防隊が到着した時には、もはや進入できる状態ではなかったという。


   さらに不運なことに、当時は内装の仕上げを急ぐため、作業員が寝泊まりしながら夜通し突貫工事をしているような状況。工事のほこりで誤動作しないよう防火シャッターの検知器は遮断され、スプリンクラーも止められていた。

 

   火は何ものにも妨げられることなく、エスカレーターの吹き抜け部分から上へ上へと駆け上り、最上階まで焼き尽くした。


   店内にいた作業員や警備員、工事関係者ら73人は、指揮系統も乱れ、避難器具もなく、ただ逃げ惑うしかない。火に追われ、煙に巻かれ、6人が死亡、14人が重軽傷を負う惨事となった。


   火は実に20時間も燃え続け、ようやく鎮火したのは翌日の午前2時ごろ。延べ床面積約6万平方メートルのうち約3万4600平方メートルを焼損し、被害総額は55億円。梁は曲がり、床に穴はあき、開店などできるはずもなく、店のシャッターが上がったのは1年後のことだった。


   しかし、経済的な損失よりも何よりも、この大規模火災で恐ろしいのは、悲惨な結果をもたらした出火の原因が「放火」だったことだ。しかも、火をつけたのはショッピングセンターで働く警備員だった。


   後日逮捕された警備員は、警察での取り調べに対し、連日の激務に耐えかねて犯行に及んだ旨の供述をしたという。確かに、工事中の防火体制の不備を見ても、会社側に責任がなかったとは言えない。しかし、マッチを擦ったその時に、"仲間"の顔を思い浮かべてくれていたら……。詮無いこととはわかりつつも、そう思わずにはいられない。

黒煙が上がるショッピングセンター。市民らは某然と見つめるしかなかった(「高槻のええとこブログ」より)

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