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防災歳時記10月2日 見え過ぎる時代の悲しみ

「巨人大鵬卵焼き」それは高度経済成長期の子どもの大好物。スポーツは自分たちの人生を投影した何かだった(撮影: Yasuhiko Ito)

 今から52年前、1961年(昭和36年)の今日10月2日、柏戸と大鵬という二人の若い力士がそろって横綱に昇進した。

 

 「柏鵬時代」と呼ばれる相撲黄金時代の幕開けだった。

 

 子ども達は、めっぽう強い柏戸と大鵬に熱狂し、王・長島というスター選手を擁してV9を達成する強い巨人軍に狂喜乱舞した。

 

 「巨人大鵬卵焼き

 

 「高度経済成長期」の子ども達の「大好物」。

 

 いつの日か、スポーツは娯楽(エンターテイメント)になった。

 

 あの時代のスポーツは「ひとときの楽しみ」なんて突き放したかんじの代物じゃなかった。

 

 大人も子どもも大鵬や柏戸の強さ、王や長島の強さに本気であこがれ、本気でヒーローだと思っていた。

 今より国も暮らしも貧しかったせいかもしれないが、スポーツには「強くなりたい(でも現実にはなかなか強くなれない)」人々の人生の願望が投影されていた気がする。

 

 大鵬が鮮やかな技を決めるとき、それは自分が仮想空間で勝ったも同然だったのだ。

 

 当時の三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)が庶民にとって人気商品だったのも、人々は本気でそんな家電がある生活がまぶしく見えて、本気であこがれていたから。

 

 だから東京オリンピックは、シンデレラがお城の舞踏会に招かれたような、貧しい日本の精一杯のまぶしい「見栄っ張り」だった。

 

 そして、昨今の最大の問題は、例えば企業で「出世したくない」という若者が増えていることに象徴されるように、あの時代のように本気であこがれ、本気で願うこと(人)が極端に減っていることのようにも見える。

 

 みんな見え過ぎている。

 

 がんばって出世しても、ちょっと金持ちになっても、暮らしが豊かになっても、それは今の暮らしと本質的には変わらず、失敗するリスクや過程での努力を考えれば、「割に合わない話」と気付いてしまっている。

 

より良き未来、より良き暮らし、より良き人生。

 

 経済をドライブする原動力は、尽きるところ「人の願望」だ。いくらアベノミクスを展開しても、それなくして「経済発展」はない。

 

 最近、観光旅行の意味が自分には分からないと言う若者と話をした。

 

 「今まで見たことのない素晴らしい景色を見てみたいとは思わない?例えばペルーのマチュピチュ遺跡とか…」

 

 「ああ、それならもう見ました。というか、たいていの観光地はYou Tubeで見てますから」

 

 

 すべてが「まあこんなもの」って分かってしまっている。

「見たことのない景色を見たいとは思わない?例えばマチュピチュとか…」「ああそれならもう見ました。You Tubeで」(撮影: James Wilson)

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