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防災歳時記10月15日日韓関係冷え込みの原点

朴槿恵(パク・クネ)大統領の父親である朴正煕(パク・チョンヒ)韓国大統領(1963 - 1979)

 今から50年前、1963年の今日10月15日、朴正煕(パク・チョンヒ)氏が第5代韓国大統領に就任した。

 

 そう、現在の朴槿恵(パク・クネ)大統領の父親である。

 

 「軍事独裁政権」と言われる一方で、「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれた高度経済成長を達成した彼はどんな半生を送ってきたのか?

 

 慶尚北道の貧しい家庭に生まれた朴正煕大統領は、長じて当時の満州国の陸軍士官学校に入学、首席で卒業し、日本が侵略国家だったことの一つの象徴として語られる「関東軍」の中尉となった。

 

 彼は「高木正雄」という日本名も持つ、れっきとした「帝国軍人」だったのだ。

 

 当然、日本語もペラペラ。

 

 1961年に軍事クーデターにより政権を奪取すると、その年の11月には当時の池田勇人首相と会談し、国交正常化で合意。

 

 この会談の最中に、一部日本語で話したことが国内の反日勢力から批判を買う。

 1965年には、現在の日本政府が強制労働や慰安婦について、「韓国との賠償問題は解決済み」とする根拠となる「日韓基本条約」を締結。

 

 これは「売国奴」と呼ばれ、学生運動を中心に全国的な反対運動が展開された。

 

 福田赳夫元首相が訪韓した際に、日韓の閣僚たちの酒席で、韓国側から日本統治時代の批判が始まった時に、彼はこう言ったそうだ。

 

 

「日本の朝鮮統治はそう悪かったとは思わない。(陸軍士官学校の)卒業式では自分が代表して答辞を読んだ。日本の教育は割と公平だったと思うし、日本の政治も私は評価している」

 

 

 「開発独裁」と言われた彼の政権は、最終的に腹心のKCIA部長金載圭に暗殺され、1979年に幕を閉じる。

 

 朴槿恵(パク・クネ)大統領は、先月末に訪韓した米ヘーゲル国防長官に、「日本の首脳が慰安婦を侮辱する、時代に逆行した発言を続けているため対話が行えない」などと発言。

 

 APECの場でも安倍首相に対し、冷たい態度に終始しており、さすがに韓国メディアもこの異常事態に、朴大統領に対日融和の必要性を語り始めている。

 

 なぜそこまで彼女は、日本を「毛嫌い」するのか?

 

 国内の反対を押し切って、父 朴正煕(パク・チョンヒ)氏が日韓基本条約を締結したのは、朴槿恵(パク・クネ)大統領が13歳と、まだ多感な少女時代のこと。

 

 国内のナショナリズムを抑えつけ、親日・親米路線をひた走り、韓国を一流国の仲間入りさせたにも関わらず、最後は側近の裏切りで非業の死を遂げた父親の姿。

 

 それは多感で才気あふれる少女にとって、あまりに「衝撃的な現実」だったのか、それとも冷徹な政治家として、「父親の轍は決して踏むまい」と決意させるに十分な教訓だったのか…。

朴槿恵(パク・クネ)韓国大統領(出典: ギリシャ外務省)

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