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防災歳時記10月22日 日清戦争と庄内地震

   今から119年前の1894(明治27)年の今日、10月22日午後5時35分、山形県・庄内平野を激しい揺れが襲った。


   俗に「庄内地震」と呼ばれる内陸直下型地震で、震源は現在の山形県酒田市の中心部、庄内平野東縁断層帯と推定されている。


   まだ日本で本格的な地震観測が始まる前だったため、正確な記録はないが、地震の規模はM7.0、最大震度は当時の4段階の震度階級(微震、弱震、強震、烈震)で最大の「烈震」で、現在の震度7に相当するとみられている。


   被害は広く庄内平野一帯に及び、死者は726人、負傷者は8403人。全壊・全焼した家屋は6000棟にのぼり、特に震源の酒田市は総戸数の8割が焼失する大火に見舞われた。当時の建物は大半が木造建築。この地震が、改めて木造建築の耐震性について問い直すきっかけになり、震災予防調査会が対策を提言したという。

   しかし、犠牲者が3桁を超えるような大災害にも関わらず、庄内地震は歴史資料が少なく、地震規模や震度、震源などについて不明点も多い。


   というのも、地震の起きた1894年10月は、7月に清国に宣戦布告して始まった日清戦争の真っ最中だった。


   日清戦争は、近代日本が最初に経験した大規模な対外戦争。当初は世論も困惑と緊張で開戦を迎えたが、勝利の報が次々に届き始めると、街では戦勝祝賀会が頻繁に行われ、「帝国万歳」が流行語に。日本全国が"初めての戦争"にわいていたのである。


   日清戦争が終わったのは翌1895年3月23日。山口県・下関で日清講和条約が調印され、日本は清国から領土と多額の賠償金を得ることになった。


   地震から半年も経たない頃に、日本中を覆った祝勝ムード。復興途上の荒野が広がっていただろう被災地で、家族や家や土地を失った人々の胸に去来したのは、復興を後押しする戦勝の喜びか、あるいは、復興そっちのけで置いてけぼりをくらった悲しさだっただろうか。

地震で地面には亀裂が走った(出典:国立科学博物館地震資料室)

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