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防災歳時記10月26日 原子力の日と50年の歳月

平成20年度「原子力の日」ポスターコンクール作品募集ポスター(文部科学省ホームページより引用)

 今日10月26日は『原子力の日』。

 

 今から50年前の1963年(昭和39年)の今日10月26日に、茨城県東海村の日本原子力研究所の動力試験炉(JPDR)が日本で初めて「原子力発電」を開始したことを記念して「原子力の日」となった。

 

 かつては文部科学省も「原子力の日ポスターコンクール」などのイベントを開いていたが、このご時世、そんなこともできる雰囲気ではないだろう。

 

 日本は第二次大戦後、原子力に関する研究が全面的に禁じられていた。

 

 それが1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約発効によって解禁される。

 

 1955年には原子力基本法が成立し、翌年には原子力委員会が設立。

 

 初代委員長は読売新聞社主だった故正力松太郎氏。

 

 巨人軍を作り、日本テレビを作り、「プロ野球の父」で「テレビ放送の父」であった故正力氏は「原子力発電の父」でもあった。

 

 ちなみに故正力氏は初代科学技術庁長官にも就任している。

 原子力で動く21世紀のロボット「鉄腕アトム」が人気者だった時代だ。

 

 当時「原子力」は「科学技術の象徴」であり、「未来のエネルギー」の象徴だった。

 

 故鳥飼欽一氏を始め、戦後すぐに米国のアルゴンヌ国立研究所に留学した秀才たちが、この分野に結集して国産原子炉の研究・開発にいそしんでいた。

 

 正力氏が委員長をつとめる原子力委員会の委員には日本人初のノーベル賞受賞者 故湯川秀樹氏の姿もあった。

 

 多くの人が「原子力の未来」に希望を抱き、俊英たちが高い理想を持って「原子力村」に集っていた。

 

 

 それから50年。

 

 

 国内初の原子力発電を成功させた日本原子力研究所は、「もんじゅ」の点検漏れなど度重なる事故で組織・安全文化の質が問われている現在の日本原子力研究開発機構(略称「原研」)となった。

 

 かつては日本の原子力開発における輝やかしい業績を築き、フロントランナーとして走り続けていた原研。

 

 その栄光の時代を見てきた原子力規制委員会の田中俊一委員長にとっては、現在の原研の「体たらく」は怒りを通り越して、悲しくすら思えてくるのだろう。

 

 50年という歳月が何を変えてしまったのか?

 

 日本の「原子力村」が、この50年間に本当にやらなければならなかったことは何だったのか…。

日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)

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