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防災歳時記11月6日 快傑ハリマオと靖国参拝

快傑ハリマオこと谷豊(1911年 - 1942年)

 俳優の松田翔太さんにもちょっと似ているハンサムな青年。

 

 今日は、この一人のイケメンの数奇な人生の話を。

 

 今から102年前、1911年(明治44年)の今日11月6日、福岡市の理髪店に一人の男の子が生まれる。

 

 名前は谷豊(たにゆたか)

 

 家族は豊が2歳の時に、マレーシアに移住。豊はマレーシアでその青春時代を過ごした。

 

 豊は20歳の時に徴兵検査を受けるために日本に帰国。

 

 しかし軍国主義に傾いていく当時の日本の風潮になじめず、検査は不合格。

 

祖国に役立ちたい

 

 そう願っていた豊には、ショックだった。

 

 そして、そんな時にさらなる不幸が訪れる。

 

 豊の帰国中に、マレーシアでは満州事変に対する華僑たちの排日暴動が起き、豊の妹は首を斬られ、さらし首にされるというショッキングな事態が発生していた。

 

 復讐に燃えた豊はマレーシアに戻り、マレー人の友人たちと華僑を狙う盗賊団になった。

 

 マレー語とタイ語が話せて、敬虔なイスラム教徒の豊を、誰もが「マレー人」と信じて疑わなかった。

 

 ついたあだ名が「マレーのハリマオ(スマトラタイガー)

 

 盗賊団は数年間にわたって「荒稼ぎ」を続けたが、ついに豊は逮捕され刑務所に収監された。

 太平洋戦争も始まった1941年、豊ことハリマオは一人の日本人が用意した保釈金によって釈放される。

 

 その日本人は、日本陸軍の特務機関の一員、神本(かもと)利男だった。

 

 神本は諜報組織を作るため、盗賊団に目を付けた。

 

 ハリマオはマレー人として生きていく決意をしていたので、当初は日本軍への協力を拒んだが、神本は、「自分もマレーの人となり、ゆくゆくはイスラムの洗礼を受けたい」と説得、ついにはハリマオも軍への協力を約束する。

 

 すぐにかつての仲間を集め「ハリマオ団」を結成すると、マレー半島の英国軍に対する破壊・妨害工作を次から次へと行ない、日本軍のマレー半島攻略を助けた。

 

 しかし、そんな快傑ハリマオにも最期の時が来る。

 

 マラリアに感染したのだ。

 

 しかしハリマオは「本当のマレー人なら白人の作ったクスリなど飲まない」とマラリアの特効薬キニーネの摂取を断わり、マレー人がそうするように「サイの角の粉末」を服用し続けた。

 

 1942年(昭和17年)3月17日、病魔に冒されたハリマオこと谷豊は31歳の短い生涯をシンガポールの病院のベッドで終えた。

 

 その最期には、ハリマオを諜報機関に誘い込んだ神本と固く手を握り、こう言っていたという。

 

 

トシさん(神本)のシャハーダ(イスラム改宗の儀式)まで生きておれそうにない。すいません、すいません…

 

 諜報員として作戦中に死亡した谷豊は、「戦死扱い」となり、靖国神社に合祀されている。

 

 多くの人が心に思い描いている、「靖国神社に祀られている英霊」のイメージと、ハリマオの人生は合致するだろうか?

 

 戦争から長い年月が過ぎ、記憶は風化し、「英霊」とか「戦犯」とか「侵略」とか「靖国参拝問題」とか、歴史はその個々の物語性を失い、「抽象的なことば」でしか語られなくなる。

 

 「公人の靖国参拝」に賛成でも反対でもないが、そこに祀られている人々(もちろん靖国神社以外に祀られている人もだが)にも「英霊」や「戦没者」という単純な言葉で一括りにすることのできない、さまざまな「人生の物語」や「戦争との関わりあい」があったことだけは忘れないでいたい。

 

 ちなみにマレーシア人からは、かつての英国軍や日本軍よりも、「マレーを愛した一人の日本人 ハリマオ」の方が、今でもはるかに愛され続けている。

ハリマオこと谷豊とともにマレーシアの諜報機関を作った神本利男(1905年 - 1944年)

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