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防災歳時記11月16日 ジョホールバルの歓喜とキングカズ

 今では野球を凌ぐほどの人気を博しているサッカー日本代表。

 

 ワールドカップの最終予選や、本戦での試合が行われれば、渋谷のスクランブル交差点に若者が大挙して押しかけ、警察沙汰となる姿は半ば風物詩となりつつある。

 

 そして最近は、国民の多くが「出場は当たり前」という認識を抱いている感もあるが、1998年のフランスW杯に岡田ジャパンが初出場を果たすまで、ワールドカップは手の届かない「夢の舞台」であった。

 

 それを現実に変えたのは、今から16年前、1997年の今日11月16日に起きた「ジョホールバルの歓喜」である。

 

 当時の新進気鋭だった中田英寿の放ったシュートが相手キーパーに弾かれ、そこに走りこんだ俊足FW・野人こと岡野雅行が得点を決め、フランスW杯への出場キップを手に入れたのだ。

 

 遡ること4年前の1993年、日本代表はロスタイムでイラクに得点を奪われ、あとわずか数十秒でアメリカW杯への出場を逃していただけに、初出場の喜びはとてつもなく大きかった。

 

 そして、そのいずれの試合にも、日本代表の中心にはキングカズこと三浦知良がいた。

 

 1982年に高校を中退後、単身でブラジルに渡り、1990年には名門サントスFCでレギュラーに抜擢されていたカズは、同年、惜しげも無くその地位を捨て、日本へ帰国。母国・ニッポンのワールドカップ出場のためにグランドを走り始めた。

 

 1993年発足のJリーグを引っ張り、日本人プレイヤーにとって「夢の舞台」でしかなかったワールドカップへの道を開拓したのは、間違いなくカズである。技術的にも精神的にも、本場ブラジルで活躍した彼がいたからこそ、周囲の選手も自信を持てた。

 

 サッカーに興味のない多くの日本人たちも、カズの存在によってJリーグを知り、ワールドカップを知り、そして「出場への夢」から、「本番への活躍」に期待を寄せるようになっていった。

 

 しかし、そのカズに非情な判断が下される。

 

 1998年フランスW杯の直前、スイスで合宿を行っていた岡田武史監督は、本戦のベンチ枠から外れる選手にカズと北澤、市川の3選手を選んだのだ。

 

 これは日本国内でも大きな波紋を呼んだ。岡田監督の記者会見姿は幾度となくテレビで流され、また、ワールドカップ本戦でチームが不甲斐ない3連敗を喫すと、カズを外した事自体が監督責任として追及されるようになる。

 

 このときカズは31才。激しいフィジカルスポーツのサッカー界では、引退していても全く不思議ではない年齢であり※1、次世代・中田英寿のチームを成長させようとする判断は、見方によっては正しい考え方だった。

 

※1 Jリーグの平均引退年齢は約26才という若さ

 

46才にして今なおピッチを走り続けるキングカズ/写真 Ryosuke Yagi

 そして2013年現在。日本が初のワールドカップ出場を果たしてから、15年の月日が流れた。

 

 中田英寿は「旅人になる」と言い残してサッカー界を去り、中山雅史やラモス瑠偉など、Jリーグ創世記のメンバーたちは解説者や指導者などとして活躍。激しい戦いの場に身を置く者はいない。次々に有望な若手選手が現れ、状況がそれを許さないからだ。

 

 しかし、カズだけは未だに現役としてピッチに立ち、現在もJリーグ最年長得点記録を伸ばし続けている。

 

 今年46才。ハタから見れば、まさしく奇跡のような存在だが、カズ自身は日頃から専門のトレーナーを付け、徹底した体調管理を行っており、本人も次のように語っている。

 

「自分の成果は、積み重ねの結果であり、決して“持っている”とは思っていない」

 

 カズならば、2014年のブラジルW杯も本気で出場を狙っているだろう。

 

 すげぇな。でも、自分だってまだまだ夢のために頑張らなきゃな。そんな青臭いことを中高年に本気で思わせられるのは、今なおピッチを走り続けるキングカズだけだろう。

 

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