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防災歳時記11月17日 北海道拓殖銀行の破綻

設立当時の北海道拓殖銀行本店/wikipediaより引用

 バブル経済の崩壊後、日本の都市銀行は不良債権の整理に追われ、経営破綻から逃れるようにして合併再編を繰り返してきた。

 

 住友銀行や三井銀行など、長いこと13行だった都市銀行は、現在、三菱東京UFJ、みずほ、三井住友、りそなの4行(埼玉りそな銀行を含めると5行)に統合され、いずれもその資金力の大きさからメガバンクとも言われている。

 

『今後、こうした都市銀行が潰れるなんてまず有り得ない。そのときは日本経済の終焉だ』と、思われるかもしれないが、「絶対」などないのが資本主義の原理原則。

 

 今から16年前の1997年11月17日、道内では「絶対の存在」だと考えられていた北海道拓殖銀行が、都市銀行としては戦後初の破綻へと追い込まれることとなった。

 

 

 北海道拓殖銀行は、もともと道内の農工業育成のため1900年に設立された政府系の銀行だったが、1939年の法改正で普通銀行として急激に規模を拡大するようになり、戦後の1949年には東証一部へ上場。

 

 最盛期の1994年には預金額8兆7000億円にまで資金力を強大化させ、まさに北海道全土を制する勢いで大きくなった。

 

 しかし、バブル経済の破綻から同銀行への信用不安が高まると、億単位で預金が解約されるようになり、最盛期からわずか3年後の1997年には預金額が5兆9000億円まで一気に減少。不良債権で悪化した財務状態が週刊誌などですっぱ抜かれるなど、バブルへの過剰融資が問題となり、破綻への道はにわかに現実味を帯びていった。

 

 ただ、それでも当時の大蔵省は、北海道銀行との統合などにより、拓銀を生き残らせる方向で話を進めていたという。

 

「都市銀行でも潰れることがある」と理解できるのは今だからこそであって、当時の世間は「まさか都市銀行が」という思いのほうが強かった。なんだかんだ言っても、日本経済の一翼を担う存在だったのである。

 

 実際、拓銀自身も当時は甘えがあったのだろう。「本州での営業を捨てろ」とする北海道銀行の主張と真っ向から対立し、統合の話が流れてしまったのである。

 

 拓銀はこの後、日本興業銀行や日本長期信用銀行、また、生命保険会社などにも資本提携などの話を持ちかけていることからして、まだまだ自分たちに余裕があり、格下の北海道銀行に取り込まれることを受け入れられなかったのかもしれない。

 

 そして結局、1997年11月17日に破綻。

 

 大蔵省や日銀の計らいで事前に北洋銀行へ営業譲渡をして、大きな混乱は避けられたが、都市銀行の破綻が北海道だけでなく日本の経済に与えた影響は小さくないだろう。

 

 実際、日本はその後、失われた10年、20年などと言われ、長らく景気の停滞が続いてきた。

 

 一方、2009年にリーマン・ショックを起こしたアメリカの経済は、現在、NYダウが3日連続で高値更新を続けるなど、絶好調で歩んでいる。そしてその流れに日本も乗じて、堅調な株式相場が続いている。

 

 しかし、これは「モノやサービスが活発化する本物の景気上昇」とはあまり関係ない。量的緩和によって大量に刷られたドルが行き場をなくして株式相場や商品相場へ流れているだけであり、本質的にはバブルと似たようなものだ。

 

 事実、FRBが量的緩和の継続を打ち切るとする思惑が流れただけで、株式相場が一気に下落をしたこともある。会社そのものの価値で株式が上下動するのではなく、「余った資金」で動くという金融経済が続いているのである。

 

 いずれFRBは量的緩和を打ち止めなければならないときがくるだろう。まだかなり先のことかもしれないが、すでにリーマン・ショック前と同じような住宅バブルの兆しも出てきており、このままでは、また同じことを繰り返す危険性も高い。

 

 そのときに備えて日本ではどんな準備を進めておけばよいのか。金融経済については、そろそろ庶民も本気で勉強をしなければならないのかもしれない。自分たちの財布に直結するだけに、笑って済まされる問題ではないのだ。

 

2007年に解体された北海道拓殖銀行本店/wikipediaより引用

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