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防災歳時記11月23日 風船おじさん アメリカへ

風船おじさん。現在、その姿は一部ネット上で流されているだけ

 ライト兄弟が命を賭けた挑戦の末に世界初の飛行機を飛ばした快挙は皆さんご存知だろう。

 

 植村直己が五大陸の最高峰登頂を世界で初めて成功させ、そしてマッキンリーで消息を絶ってしまったことは、最後まで挑戦しなければならない冒険家の運命として人々の記憶に刻まれている。

 

 こうした過去の偉人たちを引き合いに出すと怒られそうだが、今から21年前、1992年の今日11月23日に無謀極まりない挑戦を試みた人物がいる。

 

 鈴木嘉和(よしかず)、当時52才。

 

 彼は木製のゴンドラにビニール風船をくくりつけた自作の「ファンタジー号」に乗り込み、琵琶湖畔からアメリカへ向けて旅立った。

 

 常軌を逸したこの元ピアノ調律師に対し、マスコミが付けたアダ名は「風船おじさん」。

 

 もしも彼がビニール風船での太平洋横断に成功していたら、過去の偉大なる挑戦者たちの中にその名を連ねていたのだろうか。

 

 鈴木を乗せて日本を飛び立ったファンタジー号の性能は極めてシンプルである。

 

 直径6mのヘリウム風船を6個、3mの風船を20個、ゴンドラに繋げただけ。風船の製作業者によると、それは人を乗せるためでもなく、また、零下何十度の高空での使用に耐えられる保証もなかった。

 

 こんな調子であるから日本やアメリカ当局からの飛行許可がおりるワケもなく、11月23日はあくまで風船の上昇実験を行うだけの予定だった。

 

 ここで話が終わっていれば、ただの「風変わりなおじさん」で済んだだろう。

 

 しかし、当日午後4時20分頃、鈴木は突如行動を起こす。周囲の制止を振りきってファンタジー号のロープを外し、上空へと旅立ってしまったのだ。

 

「アメリカへ行ってきます」

 

 その様子はワイドショーでもさかんに流され、視聴者たちを唖然とさせるばかりであった。

 

 冒険どころか、ただの自殺行為。彼の愚行に怒りを感じる人々が少なくなかったのも無理はない。

 

 それでも風船は飛んでいった。

 

ポップな文字で描かれた「ファンタジー号」で、なんとアメリカまで挑戦

 鈴木からSOS信号が発信されたのは、出発から2日後のことだった。宮城県金華山沖で飛行中のファンタジー号を海上保安庁が発見。

 

 まったく人騒がせなやつだ。いい加減にしろ。その一報を見聞きした多くの日本人たちは、これで一件落着だと思った。

 

 しかし、鈴木はそこでSOS信号を止め、高度2500メートルから4000メートルの高さを浮遊しながら雲の中へ――。以降、彼の消息はいっさい不明である。

 

 もし鈴木が、己の行動に疑問を感じていたならば、その段階で風船をひとつずつ切り離し、海へ不時着するところを海上保安庁に救出してもらっていただろう。あるいは「助けて」というゼスチャーのひとつでもしていたに違いない。

 

 しかし、鈴木は颯爽と雲間へ消えていった。

 

 ジェット気流に乗って40時間でアメリカへ。どんな理屈で出された計算か不明であるが、鈴木が自分を信じていたことだけは間違いない。なぜ彼は、そこまで強い信念を持ち得たのか?

 

 一説によると、鈴木はこの挑戦が成功すればテレビCMのオファーが舞い込み、5億円とも言われる多額の借金を返済できると信じていたという。

 

 誰が見ても絵に描いた餅であり、やはり過去の偉大な挑戦者たちとは根本的に性質が違うゾ、と思う一方で、それでも「ワガママに自分の人生を謳歌している」という一点において鈴木に揺るぎはない。

 

 一度きりの人生だから、人間誰しも冒険したい場面と出くわすかもしれない。そんなときは「風船おじさん」を反面教師に頑張るのも一興かもしれない。

 

もし成功していたら、どんな評価であっただろう

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