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防災歳時記11月24日 暗殺された暗殺者オズワルド

   ジョン・F・ケネディ大統領の娘、キャロライン氏が駐日米国大使に就任した。


   信任状奉呈式の馬車送迎のテレビ中継から始まって、米軍基地訪問、ポール・マッカートニーのコンサート、ツイッターアカウントの開設まで、とかく連日マスコミをにぎわし、まるで「追っかけ」のような騒ぎだが、初の女性大使、そのうえケネディ大統領暗殺事件から50年の節目とあっては無理もない話だろうか。


   が、今日11月24日に限って言えば、注目すべきはキャロライン大使ではない。


   大統領暗殺事件のもう一人の主役、狙撃の実行犯とされるリー・ハーヴェイ・オズワルドが"暗殺"された日だからだ。


   オズワルドはニューオリンズに生まれ、母子家庭で腹違いの兄らと共に育った。17歳で海兵隊に入隊し、日本の厚木基地にもいたことがあるが、除隊後の1959年に旅行に出かけたままソ連に亡命。約3年後に米国に戻った。暗殺事件の前年、1962年のことだ。


   そして、1963年11月22日にパレード中にケネディ大統領が凶弾に倒れてからわずか2日後、逮捕されたオズワルドはダラス警察の地下駐車場という極めて安全なはずの場所で、郡刑務所への移送直前に拳銃で撃たれて命を落とした。

   狙撃したのは、ダラスでナイトクラブを経営するジャック・ルビーという男。犯行の理由については「夫が暗殺されて悲しんでいるジャクリーン夫人とその子供のため」と供述したという。


   逮捕直後から「俺は嵌められた」「身代わりだ」と無実を訴えていたオズワルドの突然の死で、ケネディ大統領の暗殺事件は歴史の「迷宮」に入り込むことになる。


   一応、後任のジョンソン大統領が暗殺事件の調査のために設置した「ウォーレン委員会」は、オズワルドの単独犯行と結論づけているが、事件前後に現場周辺で「オズワルド」を名乗る男が複数いたという目撃情報があったり、ルビーが警察内部にやすやすと侵入できた理由も不明。そもそもルビーとオズワルドはマフィアを介して顔見知りだったという証言もあり、議論を巻き起こすには十分すぎる材料がそろっている。


   実際、今だに大統領暗殺事件は世界中でさまざまに推理され、小説や映画の格好のネタだ。

 

   1991年にはオリバー・ストーン監督が、暗殺事件の黒幕を法廷に引っ張り出そうとした地方検事ジム・ギャリソンの逸話をケビン・コスナー主演で映画化(タイトルは「JFK」)。日本でも、山本周五郎賞を獲った伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』で、主人公は「オズワルドにされるぞ」という言葉を引き金に首相暗殺の濡れ衣を着せられる陰謀に巻き込まれていく。

 

   ウォーレン委員会の888ページの報告書、2万ページ以上に及ぶ関連資料は1964年、ジョンソン大統領に提出、一般公開された。ただ、一部は「事件に関連する無実の人々の保護のため」として2039年まで、当時からすれば75年という長期にわたって"封印"されることになった。これがまた多くの憶測を呼ぶ理由になったのだが、2039年と言えば、2013年の今からしてもまだ随分先の話だ。

 

   オズワルドは世紀の暗殺者か、はたまた哀れなスケープゴートか。「その時」が来れば、謎は解けるのだろうか。

移送されるオズワルド。手前に銃を構えたルビーがいる

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