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防災歳時記12月20日デパートの誕生と年末商戦

浮世絵師 歌川広重の「名所江戸百景」には三越の前身「越後屋」ののれんを見ることができる

 今から109年前、1904年(明治37年)の今日12月20日、「合名会社三井呉服店」は、社名を「株式会社三越呉服店」に改称するとともに、「デパートメントストア宣言」をした。

 

 「米国に行なわるるデパートメントストーアーの一部を実現致すべく…」、これが新生「三越呉服店」の営業方針だった。

 

 三越はデパート、つまり百貨店になるために「呉服」以外の商品の種類も扱い、店のディスプレイも、この10数年前から一新していた。

 

 もともと日本橋の呉服屋だから、時代劇などで見る、いわゆる「呉服屋」の店構え。

 

上がりがまちに反物を広げ、お客がちょこっと腰掛けて品定めする「座売り」スタイルだったのが、大広間をぶち抜いてショーウィンドウなどを置く、「陳列方式」にしていた。

 

 そもそも三越の前身「越後屋」は、現在の三井グループの始まりでもあり、江戸時代の流通・小売業界の「革命児」として急成長を遂げた。

 

 越後屋の打ち出した新しいアイディアとは、例えば「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」、「小裂何程にても売ります」。

 

 「現銀掛値無し」とは、「現金商売で正札に書かれている通りの値段で売ります」という意味。

 

 それまで商売に「定価」という概念はなく、人によって商品の値段は違っていた。

 

 すぐに値切るケチな客には、売る側も織り込み済みで高い値段(掛け値)をふっかけた。

 

 買い手は商品の相場について目利きできないと「高い買い物」をさせられる。

 

 だから商売(買い物)は目利きのできる「プロの仕事」で、素人はおちおち安心して買い物もできない。

 

 そしてもう一つの「小裂何程にても売ります」は「どんな少ない量でも切り売りします」という意味。

 

 ちょこっとした買い物も、値札を見て安心な買い物もできる「越後屋」は呉服を富裕層から庶民に解放し、一気に市場を広げた。

 

 いわば「商売の素人」である「普通の奥さま」に「安心できる買い物」を解放したのである。

越後屋、そちもワルよのう〜

 

 時代劇に出てくる「越後屋」はたいてい悪代官と悪巧みを謀っているが、現実の越後屋は「公明正大で安心な商売」の時代を生み出した流通業界の革命児だった。

 

 そしていち早くこの国にデパートを作り、デパートの全盛時代を築いていった。

 

 しかし昨今、デパートは構造不況業種とされ、長らく低迷が続いていた。

 

 呉服屋時代からの主力商品「衣料品」はユニクロに代表される低価格の製造型小売業などに押される一方で、「百貨店はその歴史的使命は終えた」とまで言われ、三越を始め業界は合併統合が続いた。

 

 「デパート再生のためには、衣料品主体体質を脱却することや高級店戦略を捨てること」など、色々なことが言われた。

 

 ところが今年、アベノミクスの功績もあるのか、デパートは実に16年ぶりに復活を遂げている。

 

 越後屋の現在の姿「三越伊勢丹ホールディングス」の11月の売上げは前年同月比6.7%増の618億7340万円。

 

 業況が悪化するたびに「なんとかの一つ覚え」みたいに衣料品のテコ入れをするデパートに、「だから呉服屋は…」との揶揄もあった。

 

 だが、ふたを開けてみれば、16年ぶりの復活を支えているのは、なんと「衣料品」。それも高級ブランドを中心に需要が堅調だ。

 

 若い人は、専門店やユニクロかもしれないが、60歳前後の「アラウンド還暦」な世代の女性にアンケートをとると、今でも服を買う場所のトップは「デパート」。

 

 「食の偽装」などでデパートの信頼が大きく傷ついている一方で、復活の正念場、年末商戦を迎えている百貨店業界。

 

 これからの高齢化社会の中で、越後屋は、ふたたび「流通業界の革命児」になり得るのか。

日本橋三越本店(撮影: 663highland)

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