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防災歳時記1月5日 アンコールワットの葛藤

インドネシアのボルブドゥール、ミャンマーのパガンと並ぶ世界三大仏教遺跡の一つ/photo by kimama_labo

 カンボジアと言えば、アンコールワット。

 

 世界三大仏教遺跡の一つに数えられ、熱帯雨林のジャングルの中に突如現れるその雄大な姿は、ただただ美麗と称するほかなく、訪れる者の言葉を奪う。

 

 池の水面に映る中央祠堂の美しさときたら、まさに現世の極楽浄土というに相応しい。

 

 しかし、わずか20年程前まで、アンコールワットは「地獄」そのものであった。

 

 1976年の今日1月5日、ポル・ポトが設立した国家「民主カンプチア」によって世界史上でもまれに見る約200万人もの大量虐殺が行われ、挙句の果てに同国での内戦は1993年まで続いたのである。

 

 ときにそれは、アンコールワットを舞台に銃撃戦なども行われる、激しい戦いであった。

 

 ポル・ポトは「原始共産主義社会」を唱える、極めて過激な共産主義者であった。

 

 噂では、「本人はベジタリアンで温厚だ」とする人物評もあるが、その政治思想は危険極まりなく、完璧なる平等社会を構築すために知識階級をすべて否定。まるで「原始時代のように平等な社会」を理想と掲げた。

 

 そして、理想を理想として掲げるに留まらず、それを本気で実現すべく、まず医師や教師、技術者などの知識人を片っ端から殺害。次第にその粛清対象が拡大していくのだが、これが完全に常軌を逸しているのである。

 

・本を読む人は知識人だから殺す
・海外渡航経験者も知識人だから殺す

 

 さらには「恋愛をした人」や「メガネをかける人」、「お金をもっている人」など、何かと理由を付けては殺された。当時のカンボジア国内では「密告制度」により、ポル・ポト派に告げ口をされただけで終わりだったのである。

 

 かくして生命を奪われた者が約200万人。当時のカンボジア人口は推計約600万人であるから、実に人口の3分の1がわずか4年間で殺されるという、世界史上まれに見る大量虐殺となった。

 

成人男女を中心に虐殺が行われたため、カンボジアの人口分布図は大いに偏りが出ている(2005年)/wikipediaより

 内戦終了直後の1994年、著者はカンボジアのプノンペン、シェムリアップ(アンコールワットの立つ地)を訪問したことがある。

 

 学校を改造して作られた「トゥールスレン収容所」や、映画のタイトルにもなった「キリング・フィールド」。プノンペンにはそこかしこに「人骨」という大量虐殺の爪痕が残されており、また、舗装されていないボコボコの道路や傷ついた建物など、インフラ設備も劣悪そのものだった。

 

 アンコールワットのあるシェムリアップでは、少し町から外れると「ポル・ポト派の残党に襲われる」と警告されており、それを無視した外国人バックパッカーがレンタルバイクでドライブ中に殺されたというニュースも流れていた。

 

 ヘタすりゃマジで死にかねない。当時のカンボジアにはそんな恐怖があった。

 

 しかし、1999年にあらためてプノンペンを訪問したとき、町は見違えるほど成長を遂げ、2014年の現在となってはビルが立ち並び、「アンコールワット」のある国として大きな発展を遂げつつある。

 

 今やポル・ポトによる悲劇・恐怖を連想する人は皆無とまでは言わないまでも、真っ先に思い浮かべる対象ではなくなっているようだ。未来への一歩二歩を踏み出すカンボジアにとっては、それでいいのだろう。

 

 ただ、Yahoo!知恵袋などで「ポル・ポト派って何?」などといった質問を見かけると、時代の流れを感じずにはいられない。

 

 カンボジアで起きた地獄は、誰がいかにして次世代へ伝えるのか。

 

 アンコールワットに心を奪われなければ、その地獄を知るキッカケはなかなかない現在。人類の負の遺産もこの仏教遺跡に背負っていただくしかなさそうだ。

 

夕日に染まるアンコールワットも最高の景色の一つとされている/photo by kimama_labo

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