防災と災害情報のニュースメディア
  • 歴史

防災歳時記1月16日 イラン革命と素直な国ニッポン

パーレビ国王(1919年 - 1980年)

 今から35年前、1979年の今日1月16日、イラン革命により、パーレビ国王が国外亡命した。

 

 自家用機のボーイング727を自ら操縦して身内を連れて亡命したというその行動に、「石油の国の王様はお金持ちなんだなあ」と子どもながらに庶民たらしい感想を持った記憶がある。

 

 ここで歴史を極めてかいつまんでおさらいしてみよう。

 

 イランのモサデク首相は石油国有化を図り、1953年、米国の内政干渉により失脚した。

 

 この結果、米国は傀儡(かいらい)政権になってくれるパーレビ王室を支援し、民主的な西洋風の国家建設を押し進めさせた。

 

 これに対して、反政府運動が盛り上がり、イスラムの教えに回帰するとしたホメイニ師によるイラン革命が成功した。

 

 こうしたイスラム革命の動きが波及するのを恐れた隣国イラクはイランに対して侵攻、イラン・イラク戦争が勃発する。

 イラクがイランに返り討ちにあっては困るから、米国はイラクのサダム・フセインを援助した。

 

 結果、フセインは力をつけ、クウェートに侵攻を開始、湾岸戦争、そしてイラク戦争へとつながっていく。

 

 こうした一連の歴史の中で、米国の中東政策に反感を持ったアルカイダのウサマ・ビン・ラディンは9.11のテロを実行し、米国はイスラム原理主義のテロと戦い、今に至っている。

 

 

 こうして見ると、果たして米国の60年以上に渡る中東政策は米国の利益にかなったのか?

 

 米国にとってこうした中東政策を押し進めた理由の半分は「石油利権」の確保だったことは確かだろう。

 

 だが、残りの半分は、「民主的な政治が行われ、経済水準が向上すれば、きっと西洋的民主国家ができるはず」という理想もあったはずだ。

 

 「衣食足りて礼節を知る」だ。

サダム・フセイン(1937年 - 2006年)

 しかし現実は違っていた。

 

 衣食足りたからと言って、米国が思う「礼節」を知ることはなかった。

 

 格調高く言えば、「歴史を設計することはできない」。

 

 下衆に言えば、「金をあげた奴も、いつかは裏切る」。

 

 つまり、通常の国家や民族には「経済よりも大事な何か」があるということ。

 

 これは何もイスラム国家に限ったことじゃない。

 

 中国だって同じだ。

 

 かつてキッシンジャー外交によって電撃的な米中和解後、米国、そして追随した日本も、中国の近代化、経済発展のために惜しみなく援助を行なった。

 

 そして天安門事件が起き、中国は「西洋的民主主義・市場原理」に大きくシフトするかに思えた。

 

 しかし40年後の現在、その経済力も軍事力も飛躍的に発展した中国は、米国や日本の重大な安全保障上の脅威になっている。

 

 これがキッシンジャーやニクソンや田中角栄が思い描いた未来のパワーポリティクスだったのか?

 

 この「歴史の皮肉」を最後まで理解できないのは日本人かも知れない。

 

 だって、わが国は、米国の援助により、本当に衣食足りて礼節(西洋民主国家風の)を知ってしまった「世界でも数少ない珍しい国」なのだから。

 

 この「素直さ」は国際的な基準で見れば尋常じゃない。

 

 どっちかと言えばイランや中国の方が、国際社会のグローバルスタンダードって気がする。

電撃的な米中和解を実現させたキッシンジャー大統領補佐官

 あなたにオススメの記事

メニュー