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防災歳時記1月25日「お詫びの日」はないだろう

「カノッサの屈辱」中央がハインリヒ4世

 1月25日をネットでひもとくと、誰が作ったんだか知らないが「お詫びの日」と。

 

 なんでも、歴史の教科書にも出てくる、そしてかつては某テレビ局の人気番組のタイトルでもあった「カノッサの屈辱」にちなんで、「日頃素直に言えない『ごめんなさい』を」みたいなことになっているようだ。

 

 そりゃないだろう。あまりに牽強付会(けんきょうふかい)に過ぎるというものだ。

 

 だってカノッサの屈辱は、「素直にごめんなさい」したんじゃない!

 

 今から937年前、1077年の今日1月25日、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は、北イタリアのカノッサ城の前で、雪の中、立ち尽くしていた。

 

 それはローマ教皇グレゴリウス7世に破門の許しを乞うために。

 

 そもそものきっかけは、司祭や司教を任命する聖職叙任権は教会にあるにも関わらず、ハインリヒ4世が、勝手にミラノ大司教とかを次々に任命していったことにある。

 

 これに対し教皇が破門と王位の剥奪を示唆すると、ハインリヒ4世は逆に教皇の廃位を宣言した。

 やむなく教皇側は、ハインリヒ4世の破門と王位剥奪を宣言。

 

 これはハインリヒ4世を倒すまたとないチャンスと、ザクセン公らドイツ諸候は叛旗を翻し、2月2日までに破門が解かれない場合は、新たなドイツ王を決める、と勝ち馬に乗った。

 

 「こりゃたまらん」と、ハインリヒ4世は、教皇に使節を送るが、教皇はこれを拒絶。

 

 「これは自分が足を運んで謝るしかないな」、と雪の中、修道士の格好で、裸足のまま断食と祈りを続け、3日目に許してもらえたというのが「カノッサの屈辱」。

 

 「素直にごめんなさい」じゃ、到底ない。

 

 それが証拠に、ハインリヒ4世はドイツに帰国すると叛旗を翻した諸候をやっつけて、今度は軍勢を率いてローマを包囲。

 

 教皇グレゴリウス7世は、なんとか脱出したものの、二度とローマに戻ることはできなかった。

 

 だから「カノッサの屈辱」の本当の意味は、「思ってもいないのに謝るふりをすること」(西洋社会での通常の意味は『強制された謝罪』だが)。

 

 なので1月25日に「ごめんね」と言う人は「悪い人」です。

 

 ちなみに、「謝ったフリ」をしたハインリヒ4世は、よほど性格の悪い人だったらしく、その後、息子たちにまでそっぽを向かれ、次男に王位を奪われ、失意の内にこの世を去っている。

神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世

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