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防災歳時記2月16日 受験の神様 九州太宰府へ流される

 2月中旬と言えば、高校や大学の受験が佳境となる季節。

 

 ここ数日の大雪で、試験会場までの交通機関にヒヤヒヤした受験生も多いだろうが、当日、絶対に忘れちゃいけないのが筆記用具と受験票、そして人によっては神様に願掛けした「お守り」であろう。

 

 地元の神社に祈願したもの、あるいは母親が買ってきてくれたもの。

 

 人によってカバンにしのばせる神様はそれぞれだが、学問や受験と言えば、やはり九州・福岡県にある太宰府天満宮がその筆頭。祀られているのは、かの有名な菅原道真公である。

 

 都(みやこ)での権力争いに負けた彼が京都から追い出されて太宰府へ向かったのは、今から1113年前の901年、今日2月16日であった。

 そもそも菅原道真は、なぜ学問の神様となったのか?

 

 道真の生まれは地位の低い貴族であり、当初は下級・中級官吏職に就いていたが、宇多天皇に重用されてからはそのキレすぎる頭脳を発揮して右大臣まで大出世。

 

 宇多天皇から醍醐天皇に代わってからも、朝廷に権力を集中させる政策を押し進めたことで、自分たちの居場所を失いつつある藤原氏に反感を買い、讒言、つまりデマによってその地位から引きずり降ろされた。

 

 天皇家に力を集中させようとしたのに、その天皇からの信頼を失い、最後は太宰府へ流罪(2年後に死亡)。

 

 結局は、当時最強の貴族である藤原氏に負けたワケだが、道真を追い出した貴族たちも心のドコかで負い目を感じていたのであろう。

 

 その後、都で疫病が発生し、権力闘争に関わった藤原時平が亡くなると、朝廷もにわかに「道真の祟り」を恐れるようになり、今度はそれを鎮めるため、彼の眠る太宰府天満宮を建てる。

 

 それがいつしか頭の良い菅原道真=学問の神様となり、太宰府天満宮が受験生のための神社となったのだ。

受験生が殺到する太宰府天満宮

 そんな太宰府天満宮に関する意外な話を一つ。

 

『帝王編年記』などの資料によると、太宰府天満宮の建立場所を決めたのはなんと「牛」だったという。

 

 この神社はもともと菅原道真の廟(祖先を祀る宗教施設)の上に建てられているが、903年に道真が亡くなり、遺体を牛車で運んでいたところ、牛が止まって動かなくなった場所をそのまま廟所としたというのだ。

 

 そんなテキトーな選び方でよくぞ祟りが収まったものだ…。逆に、道真さんがお怒りになられるのでは?

 

 と、我々が心配するまでもなく、その後947年には、道真を追いやった藤原時平の甥・藤原師輔が自身の屋敷を寄贈して、京都に北野天満宮も建立している。

 

 藤原氏、ビビリすぎ。今の時代ならそんな風に笑われるだろうが、当時は本気で祟りを恐れていたようだ。

 

 ちなみに関東で菅原道真が祀られていると言えば湯島天神であるが、ここはもともと別の神様を祀る神社として創建され、1355年に住民の要望に応じて共に祀り始めた(合祀)という。

京都で道真を祀っているのが北野天満宮

 後世に名を残すという視点から見ると、藤原氏にも勝る菅原道真。

 

 最後に、受験生のため、古文や日本史で頻出の和歌を掲載しておこう。

 

東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
(春になって東風(こち)が吹くようになったら、梅の香りを太宰府まで届けておくれ。屋敷の主の私がいなくなっても春を忘れないでおくれ)

 

 祟りが怖いというより、なんだかちょっと女々しいのは、気のせいだろうか。

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