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防災歳時記2月28日 浅間山荘事件とテレビとカップヌードル

昭和47年の今日2月28日の午後6時26分 89.7%という総世帯視聴率(HUT)が記録された(撮影: Yasuhiko Ito)

 「総世帯視聴率(HUT)」というのをご存知だろうか?関東ローカルで言えば、NHK第1から民放5局を同時間帯で横並びに足した視聴率。

 

 現在はBSやCS、さらにはCATVのコミュニティチャンネルなどもあるが、「昭和の時代」は地上波全盛だったから、HUTは、イコールその時間帯にテレビがオンになっていた世帯数トータルの視聴率だった。

 

 かつてゴールデンタイムのHUTは70%前後だったが、最近はテレビ離れの影響で60%ぐらいまで減少している。

 

 だが、それでも全国の6割の家庭は、この時間帯、何らかのテレビ番組を見ているということ。

 

 そして今から42年前、1972年(昭和47年)の今日2月28日の午後6時26分に、89.7%というすごいHUTが記録された。

 

 まだ勤務時間内でもあろう夕方の6時、日本の約9割の家庭がテレビの前にいたというこの数字だが、それだけじゃない。

 

 なんと、その9割の家庭が、その瞬間、ほぼ同じ光景を見ていたのだ。

 それは「浅間山荘事件」で、機動隊が犯人の立てこもる山荘に突入した瞬間だった。

 

 当時の警察庁長官は、中曽根内閣の名官房長官「カミソリ後藤田」。

 

 事件現場には、のちに初代内閣安全保障室長になる佐々淳行警視正、のちに警察庁長官になり謎の狙撃事件にあった国松孝次広報課長、のちに防衛事務次官になった丸山昂警視監、そして今は「みどりの風」所属となった代議士 亀井静香公安第一課課長補佐と、将来を嘱望された、そうそうたる警備・公安畑のキャリア警察官たちが集結して、指揮に当たっていた。

 

 大きい鉄の玉を浅間山荘の壁にぶつけて破壊しようとするその映像をテレビで見て、子どもながらに、「これは何かのドラマか?」と目を疑った。

 

 そして鉄の玉と同じぐらい、テレビに映し出されたものがあった。

 

 それは「カップヌードル」。

 

 当時の現場付近はマイナス15℃の寒さ。配給の弁当も凍ってしまう。そこで当時発売されたばかりだった「カップヌードル」が隊員に配給された。

(佐々淳行氏の著作によると、配給したのではなく、「定価の半額で頒布したもの」で、配布されたのは警視庁のメンバーのみ、長野県警にはやらなかった、と貧乏臭いことが書いてあるが…)

現在の浅間山荘(2009年撮影)

 いずれにせよ、10日間にわたったろう城事件は、28日のNHK報道特別番組(放送時間10時間超)だけで、平均視聴率50.8%。

 

 この露出量の中で、機動隊員が温かいカップヌードルを食べる姿がお茶の間に映し出され続けた。

 

 今の言葉で言えば日清が、「地上波全局ジャック」をしたようなもの。現在の広告価値に換算したら「ウン百億円」か…。

 

 その効果が寄与したのかどうかは不明だが、1971年に売り上げ2億円だったカップヌードルは、事件後の1972年に、前年比3350%増の67億円に売り上げが跳ね上がったという。

 

 まだテレビがメディアのチャンピオンに君臨していた時代だった。

事件後カップヌードルは前年比3350%増の売上げを記録した(撮影: Norio.NAKAYAMA)

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