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防災歳時記3月31日 日朝協議再開と「よど号」ハイジャック事件

   日本と北朝鮮の外務省局長級協議が30日から再開された。


   拉致問題や弾道ミサイル、核開発……。北朝鮮に解決を迫りたい問題は山積みで、1年4ヶ月ぶりに始まった協議でどれほど進展させられるか注目される。


   正式な国交が結ばれたことがない日本と北朝鮮。政府はゆくゆくは「国交正常化」まで目指したい方針だが、そんな北朝鮮に今から44年前、”熱烈に行きたがった人たち”がいた。


1970年の今日3月31日、東京発福岡行きの日本航空351便、通称「よど号」をハイジャックした共産主義者同盟赤軍派の活動家9人である。

   赤軍派はかねてから、闘争を継続するにはいざという時に亡命できる海外の後方基地が必要と考えており、社会主義国である北朝鮮に白羽の矢を立てたのだ。


   日本刀や鉄パイプ、爆弾などで武装し、乗員・乗客129人を人質にとった犯人グループは「よど号」を平壌に向かわせるよう要求。日本で初めて起きたハイジャック事件に、当時の日本政府や警察当局はさぞ肝を潰したことだろう。


   しかし、当の機長は冷静だった。燃料不足を口実に機を福岡の板付空港に着陸させ(実は燃料は充分あった)、説得によって女性や子供、高齢者ら人質の一部を解放させることに成功した。


   その後、飛び立ったよど号は、北朝鮮を装って管制無線を入れてきた韓国政府の誘導で、ソウル近郊の金浦国際空港に着陸。現地では韓国兵が人民軍兵士の服装をして、「平壌到着歓迎」のプラカードまで掲げていたという。


   犯人グループは亡命を望みながら朝鮮語をほとんど理解できないというお粗末さだったが、さすがに韓国政府のこの偽装工作には気がつき、「離陸させろ」「させない」で事態は膠着。韓国政府は特殊部隊による突入を計画するも、人質の命を重視した日本政府の要望で断念した。


   結局、日本政府は、山村新治郎運輸政務次官(当時)が乗客の身代わりになることで犯人グループと合意。ハイジャックから4日後の4月3日、山村政務次官と入れ替わる形で人質は解放され、よど号は北朝鮮・美林(ミリム)飛行場に降り立った。


   そして、犯人グループは北朝鮮に「亡命」。国際指名手配を受けたまま、現在も5人が北朝鮮で暮らしている(うち1人は死亡したとされるが、警察庁は未確認としている)。

警察庁の「よど号」犯人グループ指名手配写真

   今でも交番や駅構内で時折見かける、犯人グループの指名手配写真。当時10〜20代の若者だった彼らの年老いた姿は事件からの時間の経過を感じさせる。


   だが、北朝鮮と日本の関係は事件から40年以上経っても大きくは変わっていない。どころか、日本人拉致問題が発覚し、関係はむしろ悪化しているとも言える。


   ごく近くの国なのに、主導者の腹の内も国民生活の内実もよくわからない北朝鮮。再開した局長級協議によって、そのベールをはがす手を少しでも伸ばせるよう祈りたい。

   

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