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防災歳時記4月5日 映画法と表現の自由とバカッターと

 今から75年前、1939年(昭和14年)の今日4月5日、軍国主義化していく日本で、実にへんてこりんな法律が施行された。

 

映画法(昭和十四年四月五日法律第六十六号)

 

 言論統制の一環なのだが、映画の世界で働くためには、監督だろうが俳優だろうが、年2回行なわれる「技能審査(実技考査と性格常識考査の二つがあり、前者は専門家が、後者は文部省や内務省が考査にあたった)」をパスして政府に登録しなければいけない。

 

 試験や資格の要らない、逆に言えば才能と努力と美貌がすべての世界だった映画業界はてんやわんやの大騒ぎになった。

 

 現職の映画人は試験免除となったが、これから映画の世界を目指す者は、当然この試験にパスしなければならない。

 

 特に実技考査の審査員には、そうそうたる大監督、大俳優が並んでいたので、才能ある若者にとっては、逆に大物に目にとめてもらえる絶好のチャンスとなったのかもしれないが…。

 さて、この映画法だが、「現職の映画人」は試験免除だったが、かつての大監督や、しばらく銀幕を離れていた大俳優は、復帰するため(映画に出演するため)に試験を受ける必要がある。

 

 ある日、試験官たちは、その日の受験者リストを見て頭を抱えた。

 

 そこには昭和を代表する歌舞伎役者 二代目中村鴈治郎(がんじろう)、つまり中村玉緒さんのお父さんの名前が書かれていたのだ。

 

「あちゃ〜、希代の名優 成駒屋の芝居を試験するってか…」

 

  結局、試験官たちは「顔を見せていただくだけにしよう」ということで意見が一致した。

 

 地味な和服で現れた希代の名優は神妙に一礼して考査室へ。しかし試験官たちは何も言わず、しばらく後にようやく声をかけたのは、黒澤明、小津安二郎と並ぶ日本を代表する大監督の溝口健二。

昭和を代表する名歌舞伎役者 二代目中村鴈治郎(1902年- 1983年)

 

「もうよろしいから、どうぞ、どうぞお引き取りを…」

 

「こりゃかなわん。遠慮のうどうかやらしておくんなはれ」

 

 まるで「蒲田行進曲」かなんかのような、コメディ映画みたいなシーンが展開していた。

 

もちろん、表現の自由は守られるべきだし、「映画法」なんて言語道断だ。

 

 しかし「表現のチャンネル」が乏しかった時代には、そのチャンネルを使って表現できる人間(もしくは表現するチャンスを与えられる人間)は、なにがしかの他者の評価の目にさらされ、結果として何らかの表現する資格?を与えられた者に限られていた。

 

 表現者に国家が資格を与えるなんてナンセンスだが、一方で、迷惑や違法性を顧みず、悪ふざけ画像を掲載する、いわゆる「バカッター」が頻出するのを見ると、「表現の自由って一体、何なんだろう?」と最近考えさせられてしまう。

「どうぞ、お引き取りを…」溝口健二監督(1898年 - 1956年)

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