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防災歳時記4月22日 方丈記が教えてくれる災害史

 清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』、吉田兼好の『徒然草』。

 

 この3つの書物は日本三大随筆と呼ばれ、日本人ならば誰しも一度は中学や高校の授業で耳にするであろう。

 

 随筆とは、言わば日記みたいなもので、身の回りのアレコレや、季節や芸術、つまりは人の世についてのウンチク話が書かれている――。と我々は思いがちだが、こと『方丈記』に関しては、他の二冊とは異なる大きな特徴がある。

 

 それは、飢饉や地震など、当時の日本国内で発生した災害に関する記述だ。

 

『方丈記』は今から802年前、1212年の今日4月22日、貴族から出家をした鴨長明が書き上げた。

 

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…」

 

 この有名すぎる一節からは連想しにくいかもしれないが、『方丈記』には主に当時の都を襲った4つの大災害についての記述が残されている。

 

 1つめは「安元の大火(1177年)」である。京都駅付近で出火した炎が都全体を包み、死者は数十名(『平家物語』では数百名)に達した。

 

 2つめは「治承の竜巻(1180年)」。竜巻は、現代科学でも未解明なことが多く、発生の予測は困難であり、ひとたび発生すれば家屋を吹き飛ばしてしまう。

 

 平安―鎌倉期ならば、現代と比べて被害が甚大となるのも無理はなく、京都の市街地を通り抜けた竜巻により、家財道具や屋根などが木の葉のように舞いあがり、その通り道には柱だけの家や倒壊した家屋が取り残された。

 

 3つめは「養和の飢饉(1181-1182年)」。干ばつや大雨、洪水に襲われて田畑が壊滅し、疫病も発生。都では無数の餓死者が発生し、仁和寺の僧侶が遺体を数えたところ、京都市街地の半分だけで約4万人を超えたという。

 

 そしてラストが「文治地震(1185年)」である。M7.4と推測されるこの大地震は滋賀で震度6弱、京都で震度5強という強い揺れが発生したとされており、一時、琵琶湖の水位も低下した。

 

 もちろん被害は甚大で、畿内で多数の死者が出たばかりか、中国・四国・関東地方にまで揺れが伝わり、『平家物語』には津波の発生を思わせる記載も残されている。

 

『方丈記』にも「山が崩れて川を埋め、海が傾き、土が裂けて水が湧き出る」という記述があり、山の崩壊や津波、液状化現象による被害も見てとれる。

 

 その規模があまりに大きいため、南海トラフ巨大地震だったのではないか、という見方もされているほどだ。

 

「世の中は常に流れていて、ずっと同じものは何もない」

 

 都での出世争いに負け、貴族の身から没落した鴨長明が「無常」を感じたのは、果たして「人の世」に対する失望だったのか、それとも大災害を前にした無力な人間の諦念だったのか。

 

 少なくとも我々は、大災害に対して諦めないという気持ちだけは持ち続けたい。

 

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