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真に学ぶべき教訓は実体験にある

【連載】東日本大震災 被災地のリアル

プロローグ...

 想定外の巨大地震。一通りの防災知識は身につけたつもりでも、体験なき者にはリアルにその状況を想像することすら難しい。

『本当の教訓』は、たいてい教科書には載っていない。我々が知っている知識は、その時どれだけ役に立つものなのか?

 

 この連載では、ベストセラー『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』、『ふたたび、ここから』を執筆したジャーナリスト池上正樹とフォトジャーナリスト加藤順子が、実際に被災地を取材する中で感じた、さまざまな「被災地のリアル」を伝える。

そこから「被災するという事」をリアルに感じ、その日のために大切な教訓を学びとってほしい。

 

『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』 文/池上正樹 文・写真/加藤順子

第9回 中小企業経営のリアル

 

BCPって何さ?

東日本大震災から2年、世の中はBCP(事業継続計画)流行りだ。

  

「本社機能を代替する拠点を作るとともに、生産拠点も分散化し……」

 

おい!おい!ちょっと待ってくれよ!

 

「うちは、女房と二人で和菓子作ってるんだけど、本社機能と生産拠点を分散してって、つまりお母ちゃんと別居して和菓子作れ!って意味か?」

 

 中小企業経営者にとって心なしか「BCP」と言う言葉がうつろに響く今日この頃だ。


 例えば街中の小さな広告代理店を営んでいたとしよう。

首都直下地震の後に、広告出す企業なんかいるか?復興需要が喚起されるまで待てばいい?

ご冗談を!最大手「D通」社じゃあるまいし、そんな貯金があるなら苦労はない。

 

 と、「打つ手なし」で、あげくの果ては「地震のせいなら銀行の借金を踏み倒しても文句言われないかなあ…」などと倒産覚悟、反社会的な妄想を密かに抱いてみたりするのが、中小企業経営者の常だ。(ここはあくまで自分を基準に書いています)

 

 しかし、である。

今回の連載を読んで、心を入れ替えた。

中小企業にとって、本当のBCPは「人」だ。企業を継続させる原動力は「社員」だ。

 

世の社長さん方、この連載を読んで、明日から「社員」をもっと大切にしよう……。

40台のうち23台のタクシーを流失

 「金がないと何もできねぇ。

車ねえし、雇うわけにはいかない。

ただで貸せとは言わないから、利子あってもいいから。

もう1か月にもなるわけだからさ、政府は敏感にぱっぱっぱと、こういう中小企業みたいの雇用を守るためにも、この被害は背負うという仕組みがあってもいいと思うんだよねえ」

 

 宮城県石巻市内最大のタクシー会社「宮城交通」の五十嵐初栄社長(76)は、私たちが話を聞きに行った2011年4月中旬、苦しい経営事情をそう話してくれた。

 

 水産都市、工業都市、観光地としての顔を持つ同市には、24のタクシー会社がある。東日本大震災の大津波で、これらの会社が持つタクシーも数多く流された。

 

なかでも、大津波がさかのぼった旧北上川の石巻大橋のたもとに社屋と車庫を構える宮城交通の被害は大きく、43台あった車両のうち20台を失った。

宮城交通のタクシーの半数が流されたりヘドロの津波に浸かったりしてしまった(2011年4月8日 撮影:加藤 順子)

破裂しそうな気持ちだった

 商売道具が半分しかなくなってしまったことで、五十嵐社長は、80人の従業員をたとえ雇いつづけても、半数を稼働させられないというジレンマに直面した。

 

「雇用は守りたいの。けども、守られねえさ。従業員はかわいいけれど、中途半端に雇ってもろくなことができねえさ」(五十嵐社長)

 

 国の支援策が固まり、実際に制度が動き始めるまでに何ヶ月かかかるかもしれない。資金繰りを商工会議所として役所にかけあったが、すぐには解決しそうになかった。

 

  決断を先延ばしすると従業員に迷惑がかかるだろう。それならば、従業員たちが再出発できるよう、会社を解散したほうがよいのではないかーー。

 

 発災からちょうど1ヵ月半となる4月26日から3日間、五十嵐社長は従業員を集めて解散について切り出した。五十嵐社長はこの時の気持ちを、「破裂しそうな気持ちだった」と、後に振り返っている。

自宅を流された運転手は社内の仮眠室に暮らしながら乗車し続けていた(2011年4月8日 撮影:加藤 順子)

とにかく社長についていくから

 集会では、社長の予想に反し、存続を求める従業員たちが次々と出た。

 

「とにかく社長についていくから、会社やってくれませんか」

 

 中には、発災数日後には自発的に車両を稼働させていた人や、家を失っても仮眠室で暮らしながら仕事を続けていた人もいた。みんなやる気のある従業員たちだった。

 

「会社やった方がいいんじゃないですか」

「やれるんじゃないですか」

 

 残った車両で仕事を続けたいという従業員は43人にのぼり、五十嵐社長は結局、会社の解散を撤回することにした。

 

 実際に、ゴールデンウィークに入り市内のタクシー需要は急増していた。公共交通機関が復旧の見通しが遅れ、取材や支援活動で訪れた人たちでタクシーを利用する人が絶えなかったのだ。

 

 そこで五十嵐社長はまず、震災前よりもひとりずつの休みの日を増やして、日中だけの営業で全員が車に乗れるようにした。

 

安定した収入にならないかもしれないが、水揚げの半分を収入としてよいという条件にした。

 

 そうして同社の経営はほどなくうまく回り始めた。従業員たちも街の復旧に伴って、やめたひとも、ひとり、ふたり、と戻ってきた。

電気もガスも復旧前だったが、宮城交通の内勤のスタッフは窓の明かりで仕事を続けていた(2011年4月8日 撮影:加藤 順子)

ちょっと短気だけど従業員思い

 2年前、私たちが同社のタクシー初めて利用させてもらった時の運転手がいう。

 

「ちょっと短気なんですけど、社長はとても従業員思いなんです。

そのおかげで私たちは助かりました。面白い人ですよ」

 

 経営体力のない中小企業の経営者として、一度は会社解散という苦渋の決断をした五十嵐社長。

 

取材を通じても、飾らない優しい人柄は確かに伝わってきた。

 

日焼けした顔に刻まれた目尻のシワは震災後の苦労で増え、より優しそうな顔になったのではないかと思っている。

社屋は旧北上川の石巻大橋のたもとに建つ。宮城交通の五十嵐社長は「あっちの方から津波が来たんだよう」と当時の様子を教えてくれた(2011年4月8日 撮影:加藤 順子)

池上 正樹

池上 正樹
ジャーナリスト
1962年生まれ。大学卒業後、通信社の勤務を経て、フリーに。雑誌やネットメディアなどで、主に「心」や「街」をテーマに執筆。1997年から日本の「ひきこもり」現象を追いかけ始める。東日本大震災後は、被災地に入り、震災と「ひきこもり」の関係を調査。最新刊は『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)。他に『ドキュメント ひきこもり~「長期化」と「高年齢化」の実態~』(宝島社新書)、『ふたたび、ここから~東日本大震災、石巻の人たちの50日間~』(ポプラ社)など。

加藤 順子

加藤 順子
フォトジャーナリスト、気象予報士
気象キャスターや番組ディレクターを経て、取材者に。防災、気象、対話、科学コミュニケーションをテーマに様々な形で活動中。「気象サイエンスカフェ」オーガナイザー。最新著書は、ジャーナリストの池上正樹氏との共著『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)。『ふたたび、ここから―東日本大震災・石巻の人たちの50日間』(ポプラ社)でも写真を担当し、執筆協力も行っている。他に、共著で『気象予報士になる!?』(秀和システム)。

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