1905年の今日6月2日は広島県と愛媛県付近の瀬戸内海を震源とするM7.2の芸予地震が起きた日である。
この大地震により、広島市や呉市、松山市では震度5~6を観測。周辺の山陰、近畿だけでなく、西は鹿児島県(震度3)から、実に東は千葉県(震度3)まで幅広い揺れを伴った。
もちろん被害も大きかった。特に広島県では家屋倒壊などにより広島市と呉市で死者10名、負傷者156名を数え、最終的に全国で死者11名と負傷者177名となったのである。
にもかかわらず、「芸予地震」という言葉は馴染みが薄い。
誤解を恐れずに言えば、東日本在住の者にとって、この一帯の大きな地震と言えば「南海トラフ」や「阪神淡路」であり、実はM7.0クラスの芸予地震が1649年の江戸時代から数えて現代までに計6度も起きていたことなど、おそらく広くは知られていないだろう。
それは地元・広島の人々ですら、似たような思いだったようで、2001年にも起きたM6.7の芸予地震について、国土交通省のレポートではその証左となる調査結果が記されている。
『(2001年)芸予地震後の調査では91.6 %の人が「恐ろしかった」と答えているが、その一方で61.4 %の人が「広島で大きな地震が発生すると思っていなかった」と答えており、心の隙を突かれた恰好だ』(2001年の自然災害~芸予地震/国土交通省)
関東人は子供の頃から毎年9月1日の始業式後に防災訓練を行い、「関東大震災はいつか来る」と心に刷り込まれている。実際の地震にも慣れているため、多少、大きな地震があっても自然と机の下に潜り込むことができる。
ところが先の国土交通省レポートによると、広島県や山口県の人々から、「地震が起きてもガクガク足が震えるだけで何もできなかった」という悲痛な声が報告されていた。
地震格差とでも言おうか。もちろん揺れに慣れているから偉いということではなく、むしろそんなもの知らない方が幸せだ。ただ、普段の心構えが、いざというときに大切なことは説明するまでもないだろう。
その一例を、異国のアメリカから拝借してみたい。
同国では2011年8月に東海岸でM5.8の地震が起きており、そのときの米国人の右往左往ぶりが冷泉彰彦氏によってNewsweek日本版に記されている。少々長めに引用させていただく。
『CNNでは地震後数時間はこのニュースをブチ抜きで報道していたのですが、ホワイトハウスや国防総省では緊急避難、マンハッタンの高層ビルでも多くの人が避難、都市間の特急電車アムトラックは一時停止後徐行運転、というのです。
(中略)
報道によれば震源のバージニアを含めて「本棚の本が落ちるような揺れはなかった」そうですから、大きくて震度4程度だと思われるのですが、人々の反応は大変なものでした。』(記事はコチラ)
最大震度3~4の揺れでこの有様。M7.0クラスに襲われたら、いったい彼らはどうなってしまうのだろうか…。
地震への慣れというものは地域差が大きく左右するものであり、我々に米国人を笑うことはできない。おそらくこの先も、彼らが大地震と遭遇する確率は極めて低いのだろう。
ただ、常に防災・減災意識を保っておくことが、いざというときの被害軽減に繋がるということだけは間違いない。
幸か不幸か、日本人には伝統的にその素養が備わっているハズだ。