今から230年前、1783年の今日6月22日、フランス北西部、セーヌ川が大西洋に流れ込む河口の港町ル・アーブルは、船が港から出航できないほどの深い霧に包まれていた。
その霧のせいで太陽は「血の色」に染まっていた。
その霧を吸った屋外労働者の中には、肺の組織が腫れ上がり、呼吸困難に陥り、果ては命を落とす人もいた。
その正体は2000キロあまり離れたアイスランドで6月8日に大噴火が始まったラキ火山から運ばれた二酸化硫黄の粒子だった。
1783年の夏は記録的な猛暑で、アイスランド上空には巨大な高気圧が発達していた。
上空高く舞い上がった1億2000万トンもの有毒な二酸化硫黄などの火山灰は、ヨーロッパはおろか大西洋を超えてアメリカ大陸にまで覆う。
二酸化硫黄によりイギリスだけで、2万3000人もの人が中毒死した。
そして暑い夏は、この年が最後だった。ラキ火山の火山灰は太陽光線をさえぎり、ヨーロッパと北アメリカ大陸に異常気象をもたらす。
翌1784年の冬は寒波が押し寄せ、アメリカ南部のミシシッピ川が凍り、メキシコ湾に氷が浮いた。
フランスでは、それから数年間、食料不足が発生したが、1788年に襲った猛烈な嵐が決定打だった。
農作物の被害が甚だしく、これにより生じた飢饉は翌1789年に起きたフランス革命の原動力の一つとも言われている。
火山噴火が恐ろしいのは、溶岩や火砕流だけではない。巨大な噴火は数年間にわたって地球環境を変化させてしまうほどのパワーを持っている。
それはラキ火山のように、時には人間の歴史の歯車さえも動かすことすらある。