誰とは言わないが、もし日本の首相が新幹線に乗ろうとしたところで何者かに刺殺されたら? しかも、その犯人の動機が最後まで曖昧なものだったとしたら?
仮定の話もたいがいにしろ。と怒られそうだが、今から92年前、1921年の今日11月4日、当時の首相である原敬が東京駅の改札口近くで一人の青年に胸部を刺され、治療の間もなく即死となった。犯人の動機は、今も曖昧なままである。
原敬と言えば、薩長による藩閥政治が国政を担った大正時代にあって、戊辰戦争に負けた盛岡藩出身かつ爵位もなく、国民からの人気で首相の地位にまで昇りつめたため「平民宰相」と呼ばれている。
いわば人気政治家が当時の第一与党を率いて、国民の支持でトップに立ったのであり、日本史の受験問題などでも「日本初の政党内閣」として頻出する箇所である(ただし当時は現代のような普通選挙は実施されていない)。
それがなぜ、一国民に刺殺されてしまうのか。
現在ならばSPなどが首相の周囲を常に固めており、とてもじゃないが本人に近づき、短刀で心臓を突き刺すなど無理な話だろう。群衆の中から誰かが一歩前に出ただけで、取り押さえられてしまうハズだ。
それが、東京駅など人の多いところなら尚更、警戒は厳しいはずで、いくら大正時代だって首相の周辺警備は厳しいものであったに違いない。
が、それでも原敬は現実に刺されて死んでしまった。
ならば、犯人にはよほど強い動機と、訓練された技でもあったのだろうかと思いきや、原を刺した中岡艮一(こんいち)の犯行時の職業は普通の国鉄職員であり、動機にしても本人の供述は「財閥などを優遇する原政治に不満があったから」とか「普通選挙法に反対したから」程度のもの。
なるほど、そんな動機でも政治家を刺す人もいるかもしれないが、一国の総理を殺すのに単独犯で実行したとするのは、いささか無理がなかろうか。首相の行動やスケジュールの詳細など、一市民がたやすく入手できるものではない。
実際、そうした疑問は当時からあったようで、「背後に右翼勢力と関係があった」という、まことしやかな説から、中岡の思想に強い影響を与えた会社の上司が「(悪いことをした政治家は)腹を切らねばならない」と話したのを「原を切らねばならない」と勘違いしたというトンデモ説まで流れている。
本人の供述が残されているだけで、未だに真相は謎のままだ。
いや、もしかしたら本当に政治不満だけで中岡が犯行に及んだ可能性だってある。
一国の首相が殺されるのだから、その背景には何か大きな陰謀めいたものがあるのでは? と考えてしまうのは、ドラマや映画の見過ぎで、一応の史実通り、政治への不満に対する青年の単独犯である可能性も否定はできない。
それでも何らかの陰謀説を頭から消せないのは、死の直前に原敬自身が遺書めいた日記を残したせいであろう。
日記には当時の政治動向や宮中の話が書かれていたのだが、まるで原本人は自身の死期を予感し、日記が誰かの目に触れる事態を憂慮したかのように『当分の間、世に出してはならない』としたという。そしてその『遺言?』どおり、この日記が発表されたのは戦後の1950-1951年であり、現在も重要な史料として研究の対象となっている。
やはり原は何かを感じ取っていた?
これほどのミステリーであるにも関わらず、原敬暗殺事件はほとんど注目されることがない。それは今が、一国の宰相が暗殺されることなど絶対にあり得ない平和な時代のため、皆の興味が湧かないからであろうか。
庶民への消費税増税と同時に法人税減税など、中岡にしてみれば「大企業・財閥の優遇にほかならない!」と判断してもおかしくないワケで…。
現代の首相は幸せである。