今から18年前、1996年(平成8年)の今日2月19日に、山梨県により日本住血吸虫症の終息宣言が出された。
この甲府盆地の風土病(山梨県では「地方病」と呼ばれているが)である日本住血吸虫について、最近は知らない人も多いだろう。
ホラー小説の天才スティーブン・キングをして「第1章だけなら、私が今まで読んだどの本より怖い」と言わしめた、「エボラ出血熱」をテーマにしたリチャード・プレストンの小説「ホット・ゾーン」風に説明すれば以下のとおり。
その虫は、ことのほか「ほ乳類の肝臓」が好きだ。普段は水の中に潜んでいるが、ヒトが川や水田に入ると、一気に襲いかかる。
彼らは皮膚を食い破って体内に入ると血管を伝い肝臓と消化管を結ぶ血管「肝門脈」にたどり着く。そして交尾を行ない、1日に3000個の卵を産みつける。
産みつけられた卵で静脈がふさがれるため腹水がたまり、この虫に冒された人々は異様なほどに腹が膨れだす。虫の卵が血流に乗って脳に蓄積されることもある。
そして最後は、静脈瘤破裂という致命的事態に至る…。
かつては多くの人が、原因も分からないままに、この虫によって命を奪われていた。
実は本稿は、Wikipediaの「地方病(日本住血吸虫症)」の項目を見て書いている。
項目によって「玉石混淆」なwikiだが、どなたが執筆されたか分からないが、この項目に限って言えば秀逸な記述だ。
もちろん内容の正誤をただす見識など持ち合わせていないが、その記述からは、不治の病を撲滅するための研究者と山梨県民の壮絶な戦いの様子がひしひしと伝わってくる。
時間が許す方は、是非ともこれを読んで、先人たちの労苦を知っていただきたい。
このwikiの記述から「感染症を撲滅すること」の現実について多くのことを知った。
死後の解剖ですらみんなが恐れた明治時代に、「なぜ甲州の民ばかりがむごい病に苦しまなければいけないのか」と、自ら篤志献体を申し出た老女がいたこと。
この病が経口感染か経皮感染なのかが分からなかった時代、死の危険を顧みず自ら水田に入り、発症した研究者がいたこと。
日本住血吸虫のライフサイクルを断ち切るためにウマやウシにすら「おむつ」をはかせるという、今なら笑い話のような予防法を試した時代もあったこと。
中間宿主のミヤイリガイを駆除するために、美しいゲンジボタルもこの地から失われる結果になったこと。
高度経済成長期に環境汚染問題となった「合成洗剤の生活排水」が皮肉にも、水に潜む日本住血吸虫の幼生を駆逐する結果になったこと…。
…そして「地方病問題」は明治14年に地元の村の嘆願から、山梨県が撲滅宣言を出すまでに、なんと115年の歳月を要したこと。
先日、世界保健機関(WHO)は、各国の努力により、2000年から2012年までの12年間で、はしか(麻しん)による死者が、56万人から12万人に、78%も減少したと発表した。
昭和の時代には、「子どもが必ずなる病気」ぐらいに思っていたはしかだが、肺炎や脳炎を併発することにより、全世界的に見れば、死亡率が3%から5%もある。
予防接種のおかげで、最近は発症する子どもも減ったが、今年に入ってから京都府などではしかの患者報告数が増えている。
これは海外から輸入されたものが原因と見られている。
昨年は関東地方を中心に、感染経路不明の腸チフスも発生、隣国の台湾では52年ぶりに致死率100%の狂犬病が発生している。
世界が近くなったせいで、日本だけが感染症を撲滅してもダメな時代になってきている。
もう一度考えてみてほしい。
みんなが信じて疑わない「健康で安全なニッポン」なんて、本当は先人たちの血のにじむような努力と、関係者の水際での献身によって、かろうじてバランスを保っているだけの「もろい存在」なのだということを。