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防災歳時記3月2日 死して誘拐された喜劇王チャップリン

   チョビヒゲ、どた靴、山高帽。ステッキ片手にガニ股歩き。


   独特の風貌で今なお世界中で愛されてやまない”喜劇王”、チャールズ・チャップリン。


   今から37年前の1977年のクリスマスの朝、88歳の生涯をとじた彼の訃報が伝わると、国を問わず年齢を問わず、多くの人がその死を悼んだ。


……が、その涙も乾かない翌1978年の今日3月2日、あろうことかチャップリンの遺体は盗まれてしまったのである。

   イギリス・ロンドンに生まれ、アメリカに渡って大成功をおさめたチャップリンだが、第二次世界大戦後は東西冷戦の「赤狩り」のあおりを受け、アメリカを国外追放に。晩年はスイス西部、レマン湖を見下ろすコルズィエ=スュール=ヴェヴェイという村に居を構え、家族とともに過ごしたという。


   チャップリンの死後、葬儀もこの村で行なわれ、本人の遺志をくんで家族とごく少数の友人だけのしめやかなものとなった。世界的大スターとして騒がれるより、こじんまりとした墓地で親しい人たちに囲まれて静かに眠ることを、チャップリンは望んだのである。


   ところが、その死から2ヶ月ほどしか経たない3月2日、遺体はおさめられた棺ごと墓から姿を消し、ウーナ夫人の元に33万ポンドの「身代金」を要求する電話がかかってきた。


   この身代金、現在で言えば1億円にも上るもの。240億円以上とも言われたチャップリンの遺産目当ての犯行であることは明らかだった。


   チャップリンの名声から、犯人は国際的な犯罪グループか?すでに国外逃亡しているのでは?……との憶測も広がったものの、結局、犯人はごく近所で捕まる。


   身代金の要求を突っぱねた夫人に再び脅迫電話をかけようとしたところ、地元の電話ボックスを監視していた警察にあっさり捕まったのである。犯人は、近所に住む自動車修理工の亡命ブルガリア人ガルチョ・ガネフと、ポーランド人ロマン・ワルダスの2人組だった。


   この2人、お粗末なことに盗んだ棺の隠し場所すら忘れ、チャップリンの遺体が見つかったのは5月に入ってから。チャップリンの遺体は盗難から2ヶ月もの間、墓地から約17キロ離れたレマン湖畔のトウモロコシ畑に放置されていた。

ヴェヴェイの街に立つチャップリン像

   死してなお、その遺体さえ狙われるとはさすが大スター。


   だけど、もしチャップリンが生きていれば、案外これを基にドタバタ喜劇を作ってしまったかもしれない。草葉の陰の喜劇王はどんな気持ちで、詰めの甘い犯人たちを見ていただろうか……。

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