先月25日、ファンタジー小説「獣の奏者シリーズ」などの作品で知られる作家で文化人類学者の上橋菜穂子さん(51)が「国際アンデルセン賞(作家賞)」受賞した。
日本人の作家賞受賞は、2月に逝去した詩人のまど・みちおさん以来20年ぶりのこと。
同賞を主催する国際児童図書評議会(IBBY 本部:スイス)は、上橋さんの受賞について、「上橋さんは、さまざまなファンタジーの世界を作り出す類いま れなる才能を持ち合わせ、彼女の作品は優しさと、自然や知性ある生き物への大きな敬意を持ち合わせている」と評している。
この「児童文学のノーベル賞」と言われる「国際アンデルセン賞」、当のハンス・クリスチャン・アンデルセンは今から209年前、1805年の今日4月2日にデンマークで生まれた。
だから今日は、「国際こどもの本の日」でもある。
アンデルセンは、その童話に出てくる主人公のような、貧しい靴屋の子どもとして生を受けた。
小さい頃からイマジネーション豊かに育ったようだが、11歳の時に靴職人の父が亡くなり、学校を中退して、オペラ歌手になることを夢見て首都コペンハーゲンに向かった。
だが才能は芽生えず、次はバレエ学校に通うが、これもダメ。
若いアンデルセンは挫折を繰り返すが、デンマーク王や政治家などの助力もあり大学へ進学。
そこでは文学を目指すがこれも散々にけなされた。
彼の前半生を見ると、「みにくいアヒルの子」が思い出される。若きアンデルセンは長い間「みにくいアヒルの子」としての時間を送っていた。
そう思えば、「みにくいアヒルの子」は最後に白鳥になれるが、最後は水の泡となる「人魚姫」、寒い夜空の下で一人天国に召された「マッチ売りの少女」と、アンデルセンの童話は「悲しい結末」に事欠かない。
それは心のどこかで「自分は白鳥だ」と信じつつも、貧困層出身の自分にとって、「死ぬ以外に幸福になれる道などない」という現実のはざまで苦悩し続けたアンデルセンの葛藤を吐露しているようにも感じられる。
もう一つ特徴的なのは、愚か者、詐欺師、盲目の恋に落ちる女、唯我独尊で贅沢の限りを尽くす権力者…、まるで19世紀の社会の縮図のように、彼の童話にはにさまざまな人物が登場する。
アンデルセンが伝えたかったものは、「童話」の形こそ借りているものの、社会や人々の根源的な問題だったのか。
児童文学が本当に子どもに伝えるべきものは何か?
アンデルセンの童話を注意深く読めば、人々が陥りやすい過ち、打ち勝たなければいけない自分の心の闇など、現実の社会に出た時に直面するさまざまな教訓が寓話として見えてくる。
「裸の王様」のような会社の上司、男と家出したきり帰ってこない「人魚姫」な次女、そして50年も過ぎたのに一向に白鳥になる気配もない自分…。
最大の問題は、もういい加減人生も終幕に差しかかるまで、アンデルセン童話の大切な意味が分からなかった「自分の理解力の乏しさ」にあるのだが…。