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防災歳時記4月17日 ピッグス湾事件「中途半端」の教訓

1959年訪米時のフィデル・カストロ(米下院図書館蔵 U.S.News & World Report)

 今から53年前、1961年の今日4月17日に、キューバのピッグス湾に、米国に亡命したキューバ人たちの部隊「反革命傭兵軍」2000人弱が上陸した。

 

 その2年前の1959年、キューバでは革命が起き、米国が支援してたバティスタ政権は崩壊、ゲリラを率いたフィデル・カストロが政権を掌握していた。

 

 当初、カストロは米国と友好関係を維持すると表明したが、CIAは「カストロは共産主義者」と報告していた。

 

 さらにキューバに巨大な利権を持っていた米企業やマフィアの圧力もあり、アイゼンハワー米大統領は、カストロ政権の承認を拒否。

 

 結果キューバは急速に「ソ連寄り」に傾いていった。

 

 こうした情勢を受けて、アイゼンハワー大統領は、キューバからの亡命者たちを組織化、ゲリラ戦の訓練を行ない、「カストロ政権転覆計画」を密かに準備していたが、任期満了で退任となる。

 

 これを引き継いだのは、ケネディ大統領

 

 就任したばかりのケネディ大統領は、相当この作戦を嫌がったが、ダレスCIA長官、ジョンソン副大統領、ラスク国務長官、マクナマラ国防長官ら政権の中枢はおろか、弟のロバート・F・ケネディ司法長官にまで説得されて、上陸地点を変更するなど条件を付けて、しぶしぶ作戦決行を承認した。

 そして戦闘が始まった。

 

 にわか仕込みの反革命傭兵軍2000人弱に対し、カストロ率いるキューバ軍は約20万人。

 

 それだけでは、勝敗は日の目を見るより明らか。

 

 だから元々の計画では、米国が正式に軍事介入し、航空機による大規模な空爆など支援を行なう予定だったが、ケネディ大統領はこれを当初認めなかった。

 

 結果、2隻の補給船が撃沈、90人戦死、1200人が捕虜と決定的な米国側の敗戦となった。

 

 さらに、この事件はカストロをして「米国はオレの寝首をかく気だ」と確信させるに十分な効果があった。

 

 結果、1年後に「キューバ危機」として、米国の対キューバ政策は、高い代償を支払うことになる。

 

 この事件から学ぶべき教訓は何か、って?

 

 それはもちろん「中途半端はダメ」っていう分かりやすい教訓。

 

 会社でも、前任者からの「引き継ぎ事項」ってのがある。

 

 経営者なら、「前社長の極秘プロジェクト」を引き継いで、それが「社運を決するかもしれない」なんてケースもあるだろう。

 

 十分にリサーチして判断する猶予もないままに、前に進むか?、それともダメ出しするか?の決断を迫られる。

 

 そんな時は、どっちを選ぶにしても迷いがあっちゃならない。

 

 「条件を付けての実行なんて中途半端はだめだ」と分かっていても、そんな選択をしがちなのが「世の常」なのではあるが…。

ジョン・F・ケネディ大統領(1917年 - 1963年)

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